1歴代誌29章1-19節
通っている教会では土曜日に結婚式が予定されています。お天気はどうかと予報を見ると、土曜日が雨。「祈りがいがありますね」とだれかが言っていました。「生きがい」とか「やりがい」「苦労しがい」などとは言いますが、「祈りがい」ということばもいいですね。
きょうの箇所後半はダビデの祈り。
ことばの限りを用いて神をほめたたえる一方で、自分のことは「何者なのでしょう」と祈ります。ばく大な富を神の宮の建設のためにささげたのに「…すべてはあなたから出たもの…御手から出たものをあなたにささげたにすぎません」とも祈っています。王権を確立したのに、「地上での私たちの日々は影のようなもの…」と言っています。
がんばると、いっしょうけんめいやると、だれかに認めてもらいたくなるものです。しかしダビデは、自分がどんなに大きなことを成し遂げたとしても、すべては神の御手から出たものだと言っています。
「祈りがい」とは、「がんばって祈ったのです。だからこうなりました」という結果になるのではなくて、祈っていただいた答えのすべては神の御手から出たものだとして、神をほめたたえるということなのですね。
ダビデの祈りから教えられたことです。
きょうも神の恵みと平安がありますように。
通っている教会では土曜日に結婚式が予定されています。お天気はどうかと予報を見ると、土曜日が雨。「祈りがいがありますね」とだれかが言っていました。「生きがい」とか「やりがい」「苦労しがい」などとは言いますが、「祈りがい」ということばもいいですね。
きょうの箇所後半はダビデの祈り。
ことばの限りを用いて神をほめたたえる一方で、自分のことは「何者なのでしょう」と祈ります。ばく大な富を神の宮の建設のためにささげたのに「…すべてはあなたから出たもの…御手から出たものをあなたにささげたにすぎません」とも祈っています。王権を確立したのに、「地上での私たちの日々は影のようなもの…」と言っています。
がんばると、いっしょうけんめいやると、だれかに認めてもらいたくなるものです。しかしダビデは、自分がどんなに大きなことを成し遂げたとしても、すべては神の御手から出たものだと言っています。
「祈りがい」とは、「がんばって祈ったのです。だからこうなりました」という結果になるのではなくて、祈っていただいた答えのすべては神の御手から出たものだとして、神をほめたたえるということなのですね。
ダビデの祈りから教えられたことです。
きょうも神の恵みと平安がありますように。