みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

散らされた

2011年06月10日 | 使徒の働き
使徒の働き8章1-13節


 教会の庭の枇杷の実が色づいて食べごろが近づいて来ました。枇杷といえば千葉県の房州枇杷が有名ですが、当地の枇杷もなかなかなものです。全く手入れしていないので、形も小さくちょっと酸味がありますが、私はこちらの方が好きです。
 ところが、そろそろ食べ頃で明日食べようというと鳥に食べられてしまうのです。地面には枇杷の皮と種が。鳥たちは本当にグルメですね。

 「みことばの光」での聖書通読は、きょうから「使徒の働き」を読みます。読むたびに思うのがピリポのこと。あちらに行ったと思うと今度はこちらと、縦横無尽に動いているふうに見えますが、そうではないのですね。縦横無尽とは「自由自在に物事を行うさま」(大辞林)とありますので…。
 ピリポも、そして他の人々も自分たちの思うとおりに自由自在に動いているということではありません。激しい迫害が彼らを散らしたのです。しかし、散らされた彼らが行く先々で「みことばを宣べながら、巡り歩いた」ので、福音の種がまき散らされていったのです。
 辛い事が起こるから神さまのお働きがとどめられてしまうのではないのですね。一時は停滞しているかのように見えますが、そのような中で神に信頼する者たちのためには、すべてを益になるように働いてくださるのです。
 「散らされるもまた善し」と言えるでしょうか。

 主なる神からの平安を祈ります。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki