みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ささげる人々、あずかる人々

2011年06月04日 | 歴代誌第一
1歴代誌26章20-32節


 神からの平安がありますように。

 日用品の調達(買い物ということですけれども…)を兼ねた夜の散歩に二人で出かけました。寒くもなく暑くもないという、ちょうどよい気候です。見上げると星が二三個。そう言えば、しばらく夜空を見ていなかったことにも気づきました。
夜の散歩、おすすめです。
 
 きょうの箇所には、神の宮に作られる宝物蔵の管理者の名前が書かれます。
 2つのことを思いました。
1つは、バビロンによって破壊された神殿を再建しようとする人々がこれをどんな気持ちで聞いたのだろうか、ということです。サムエル、サウル、アブネル、ヨアブ、そしてダビデの名は、もちろん再建者たちにはよく知られていました。この人たちは戦って分捕った者を神にささげたのだ! と再建のために、ささげようとする励ましになったのではないか、と考えました。
もう1つは、預かる責任ということです。勇士たちが命がけで得、主にささげた者を預かるのです。彼らは宝物を忠実に管理したことでしょう。
 
 ところで、教会の宝とは何でしょう。宗教法人の規約のひな形には、財産の欄に「宝物」とあります。そうか、寺院や神社には「宝物」があるからね、と納得。教会には…。
 「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」(2コリント4章7節)ということばがあります。「この宝」とはイエス・キリストの福音なのですね。

 ささげられた献金、あずかっている土地や建物を忠実に管理するという務めとともに、なによりも神が教会に与えられたイエス・キリストの福音の輝きを失わずに宣べ伝えるのが、大切な「宝物」の管理なのだ教えられます。




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