使徒の働き 13章26−41節
ドイツの洪水被害は、西部2州にとどまらずに、南部のバイエルン州、東部のザクセン州にまで拡がっており、さらに、ベルギーやオランダに加えて、オーストリアにも被害が及んでいると報じられています。大切なものをあっという間に失って失望する人々をニュースで見るのは胸が締めつけられるような思いがします。自然環境を取り戻すための方策について、ますます熱心に話し合われ、実行に移されることでしょう。
ピシディアのアンティオキアの会堂でパウロが話したことは、イエスが救い主だという福音でした。その日は安息日。律法と預言者の朗読のあとに、会堂司の勧めで立ち上がって語り始めました。パウロは、イエスについての福音を旧約聖書を用いて話していきます。
旧約聖書を説き明かしてイエスがメシアであると福音を語るのは、パウロに始まったことではありません。ペテロも、ステパノも同じように旧約聖書によってイエスがメシアだと語りました。そしてこれは、今に至るまで教会が聖書を説き明かす際の基本です。
ボンヘッファーは、聖書は全体として神の啓示のことばなので、「日ごとの糧」のような一つの聖句を味わってよしとするようなものではないと書いています。さらに、聖書は旧約聖書と新約聖書とで一つのからだ、生きた全体なのだから、家庭の交わりでの聖書朗読では、連続して聖書を読んで行くことが考慮されなければならないとも続けています。
旧約聖書から福音を語る、それは福音の豊かさを掘り起こすようなものなのです。手前みそになりますが、「みことばの光」は聖書全巻を5年で読み通します。1節も漏らすことはありません。「しんどい」と思うような時が確かにあります。けれども、聖書全体によってご自分の心を私たちに明らかにしているのだとしたら、それを読み飛ばしてよいのだろうか、いや、よいはずはないと思います。
ピシディアのアンティオキアでのパウロの説教から、旧約聖書を読むことの必要を改めて確信し、勇気を得ました。