みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

あわれみの御手の中で

2011年11月21日 | ヨブ記
ヨブ記36章1-14節


 昨日はどのようにお過ごしになりましたか。
 通っている教会では「子ども祝福式」をしました。いつもよりもちょっと賑やかな、「子どもたちがいるなっ」と感じられる礼拝でした。私が座るベンチの横に、2歳の子がちょこんと座ったのにびっくり。しばし、その子といっしょに賛美しました。子どもが礼拝にいるのはとてもよい光景ですね。

 エリフのことばが続いています。

 心に留まったのは、「見よ。神は強い。だが、だれをもさげすまない。その理解の力は強い」(5節)ということば。
 ここに、神について知ってほしいという、エリフの思いが込められているように思います。そしてそれは、「神のための言い分」、つまり、神がヨブに知ってほしいと願っておられることなのです。

 ヨブは神の沈黙を問題にしてきました。神が語ってくださらないのは、自分のことをわかっていないのだと決めつけました。エリフは、そこにヨブの高ぶりをみるのです。

 ひどい苦しみに遭っている人は、自分のこれほどの苦しみをだれもわかってはくれないという気持ちに陥ってしまいます。だから、「わかるわかる」などと気安く言ってほしくないのです。
 神の「理解の力は強い」とは、何と心休まることばなのだろうと、思います。

 「苦難の中にいる者は、…神のあわれみの御手の中にある」と「みことばの光」にありますが、そうなのだ! 人は苦難の中にいても、喜びの絶頂にあっても、神のあわれみの御手の中に置かれているのですね。
 
 神は深く深く、私を理解しておられる…。だから、神のあわれみの御手の中で子どものように素直になれるのです。






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