みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の懐深くに

2011年10月04日 | ヨブ記
ヨブ記13章


 週刊誌を読むのは歯医者さんの待合室でぐらいなのですが、新聞の広告や電車の中吊り広告はおもしろいですね。買って読んでみたいという気にさせます。広告なので、そう思わせるのはあたりまえ!…か。
 今朝の新聞には「裁判所の暴走」ということばが踊っていました。政権与党の実力者の元秘書の裁判についての記事の広告ですね。「(無罪であるのに)裁判所が(有罪の)ストーリーを描き出したらーあなたもすぐに犯罪人に!」と小さな文字で続いていました。

 三人の友も、ヨブについてのストーリーを勝手に描き出しました。「ヨブは有罪だ。だからこんなひどい目にあっているのだ」と主張してきました。これこそひどい話です。
 このようなことは、私たちの身の回りで日常的にあります。人の心中を理解しようともしないで、事実を確認しないで、勝手に「あの人はこうだ」「ああだ」と決めつけることが、おしゃべりのつまみとして行われているのです。

 「みことばの光」、本日のタイトルは「神の懐深くに」とあります。
 友が「神の代わりに」あれこれ自分について欺きを論じることには耐えられない、神の御前に立って「私の道を神の前に主張しよう」(15節)とヨブは決めたのです。そのようなことをしたら、自分のいのちが絶たれてしまうかもしれないという危険を覚悟の上での決断でした。
 ヨブはそれでもよいと考えました。思い切って神の懐に飛び込んで「討ち死に」するようなことがあっても、自分が勝手に有罪と決めつけられたままでいるよりもましだ、というのです。

 「みことばの光」の「自分が神にふさわしくないと思えるときほど、神の懐深くに飛び込んでいこう」との「勧め」は、考えさせられます。私たちは逆の行動を取りやすいからです。

 



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