出エジプト記36章1-19節
川越市の高齢者施設にメッセージを届ける日。ホッとして帰って来たら仕事が待っており、一段落してハッと考えたら、ブログの更新をまだしていなかったことに気づきました。
途中、荒川と越辺(おっぺ)川という二本の川を渡るのですが、荒川の土手は菜の花のじゅうたん。越辺川を渡る橋の上から見える富士山は春霞の向こうにうっすら。気持ちのよい日です。
特養ホームの礼拝では司会をする方がおられなかったので、急遽司会も兼ねました。
礼拝の後の体操の時間も私が…。いつもは司会をされる方が体操を導くので、ただ言われるままに体を動かしていればよかったのですが、いざ自分がリードするとなると「さて??」何からするのでしたっけ、と皆さんに伺う始末。すると、ニコニコして「あらッ、上手!」「思い出したじゃないの」とおっしゃいます。ほめられるとうれしくなり、普段言わない冗談まで出てしまいました。
幕屋を建設するための人材は、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて。そこには、「感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべて」ともありました。何かを頼まれたとき、このように受けるだろうかと自問しました。嫌々ではないにしても、何かかにか理由をつけたがる自分がいます。
幕屋を作るための材料も、すべて進んでささげるささげ物であり、民は何度もそれを持って来るので、とうとうモーセはやめるようにと言うほどだと書いてあります。「まだ足りません、もう少しです」とのアピールを聞き慣れている身としては、何ともうらやましい光景です。
ささげながら、働きながら喜びが増していく…十字架にかかられた主への奉仕は、十字架の意味がどれほどのものであるかを思えるならば、私たちにとっても例外ではないということに気づきます。
この小さなブログ、きょうで1,000記事になりました。これからもお楽しみに!
川越市の高齢者施設にメッセージを届ける日。ホッとして帰って来たら仕事が待っており、一段落してハッと考えたら、ブログの更新をまだしていなかったことに気づきました。
途中、荒川と越辺(おっぺ)川という二本の川を渡るのですが、荒川の土手は菜の花のじゅうたん。越辺川を渡る橋の上から見える富士山は春霞の向こうにうっすら。気持ちのよい日です。
特養ホームの礼拝では司会をする方がおられなかったので、急遽司会も兼ねました。
礼拝の後の体操の時間も私が…。いつもは司会をされる方が体操を導くので、ただ言われるままに体を動かしていればよかったのですが、いざ自分がリードするとなると「さて??」何からするのでしたっけ、と皆さんに伺う始末。すると、ニコニコして「あらッ、上手!」「思い出したじゃないの」とおっしゃいます。ほめられるとうれしくなり、普段言わない冗談まで出てしまいました。
幕屋を建設するための人材は、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて。そこには、「感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべて」ともありました。何かを頼まれたとき、このように受けるだろうかと自問しました。嫌々ではないにしても、何かかにか理由をつけたがる自分がいます。
幕屋を作るための材料も、すべて進んでささげるささげ物であり、民は何度もそれを持って来るので、とうとうモーセはやめるようにと言うほどだと書いてあります。「まだ足りません、もう少しです」とのアピールを聞き慣れている身としては、何ともうらやましい光景です。
ささげながら、働きながら喜びが増していく…十字架にかかられた主への奉仕は、十字架の意味がどれほどのものであるかを思えるならば、私たちにとっても例外ではないということに気づきます。
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「みことばの光」的毎日を楽しみに読んでいます。
ゆたかな時と場をお持ちなのですね。
神さまの祝福がありますように。