ヨブ記 34章1−15節
路上駐車していますので(法的には問題ありません)、ここ数日の寒さで自動車に霜がびっしり。出かける前には「霜取り器」(?)でがりがりとフロントガラスから霜を取らなければなりません。賢い方はフロントガラスにカバーをしています。
エリフはヨブの考えの中にある危険に切り込みます。ヨブの危険とは、自分の義を強く主張するあまり、神を引きずり下ろしてしまうことでした。「神が私の正義を取り去った」とヨブは言います。これは「私はそむきの罪を犯していない」とのヨブの潔白を神はお認めにならなかったということです。けれども、ヨブ自身は気づいていないことでしょうが、確かに神はまずエリフを用い、次にはご自分が直接ヨブに語りかけると言うことによって、自分の義を強く主張することが罪であることに気づかせようとしておられるのです。
自分の義を盾にすると、「神をあざける」ことに至り、「神と親しんでも、それは人の役立たない」ともうそぶくことになるのです。罪というと、いかにも悪者による犯罪を思い浮かべますが、ヨブのような人の内にも潜んでいることに、エリフのことばは気づかせようとしています。そして、ヨブの態度の中に罪とは何かということについてのメッセージが込められているように思うのです。