使徒の働き 3章1−10節
日曜日の午後、教会の子どもたちのスポーツクラブを見学しました。以前は野球チームでしたが、今は野球だけでなくサッカーもして、子どもたちを飽きさせず体を動かす楽しさを十分に体験できるものでした。練習の後は牧師によるお話。
3章ではエルサレムの「美しの門」での出来事と、それを契機にペテロが福音を語ったことが記されています。使徒の働きには、人の目を引く不思議が比較的多く記されていますが、それはイエスの福音を宣べ伝えるためのきっかけ、導入であることが多いのだと、ここを読んで改めて考えました。
ここでは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という6節のことばを心に留めました。
「私にあるもの」とは何でしょう。ペテロは多くの人々がほしがる、とりわけ、施しを求めに美しの門に連れて来られたこの人にとって何よりも必要な金銀はないと言うのです。彼はがっかりしたに違いないかと想像します。しかし、この人は金銀に優るものを自分のものとしました。
ペテロに限らず、キリスト者は「私にあるものを」と言えるものを持っているのだと考えるなら、喜びが湧いてきます。それを誰かに、「あげよう」と言う勇気があるのだろうか…。