みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

祈って始まる旅

2022年05月27日 | エズラ記

エズラ記 8章21ー36節

 昨日は「キリスト昇天日」で祝日。窓越しに、そして外歩きの中でできるだけ空を見るようにしました。どのようにしてキリストは昇天したのだろうか、そして負いで異なるのだろうかと想像しつつ…。

 8章後半にはエズラたちのエルサレムへの長旅の様子が記されています。旅の出発はアハワ川のほとり。彼らはここで断食をし、そして神に道中の無事を祈りました。「祈って始まったことだから何が起こっても心配はない」ということばを思い出しました。

 次に彼らは、エルサレムの神の宮に献げるために持参する富を祭司長たち12人に管理させました。神の宮での礼拝の務めを行う彼らでしたので、託されたささげ物を間違いなく守との確信に基づいて託したのだと思います。

 そして、5か月の旅路は守られ、彼らはエルサレムで主を礼拝し、持参した献げ物をささげたということでこの章は終わります。

 31節の「その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から…救い出してくださった」とのことばに目が留まりました。「救い出してくださった」というのは、旅の間中何事もなかったということではありません。旅は常に危険と隣り合わせで、敵や待ち伏せする者たちに遭遇したことを想像するのは間違ってはいません。「救い出してくださった」は、実際にはそのような者たちが現われた、しかし、神はそのようなことから守ってくださったのです。

 クリスチャンの道中は、何事もなく平穏無事とは限りません。むしろ、何かが起こるのです。しかし、神の御手は、そのような危険に遭遇した旅する者たちを守のです。


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