エズラ記 2章1−58節
水曜日夜のオンラインでの祈祷会。就寝前の子どもたちも参加しました。子どもたちが元気で賛美し暗唱聖句をしている姿に、元気を分けてもらって戻ります。
聖書を読み進めるなかで苦手だと思うのが、人の名前が連なる箇所ではないでしょうか。それも、聖書でそれほど名が知られていない人々の名前を読むのはやさしくはありません。ここには、バビロンでの捕囚のみから解かれてエルサレムとユダに戻って来た人々の名前が並んでいます。
時間的にも地理的にもかけ離れている私たちがここを読むのは、簡単なことではありません。それこそ斜め読みさえしない箇所かもしれません。けれども、もしこれらのリストの中に自分の親が、父祖が、あるいは子どもたちがいると言われて、聞くとしたらどうでしょうか。おそらく、名前が呼ばれるのを今か今かと待ち望みながら、聞くのではないでしょうか。
これらの名前が聖書に残っているということは、本日の「みことばの光」にあるように、神は私たち一人一人を覚えておられ、名前を呼んでくださるだということを伝えているようです。年齢を重ねると、昔会った人のお名前を思い出せないなどというようなことが起こります。
先日、私たちがことばでは言い尽くすことができないほど教え導いてくださった方に7年ぶりに会いました。しかし、相手の方は私たちのことをお忘れになったようです。でも、私たちは覚えています。そして何よりも、神が私の名を覚えておられ、呼んでおられるという事実を知るのは大切なこと。「あなたが忘れても、わたしはあなたを忘れない」…なんと慰めに満ちたことばでしょうか。