みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしは背負う

2019年11月09日 | イザヤ書

イザヤ書 46章

 あっという間に土曜日が…、というようにしてすごした一週間でした。いつか、ラジオ体操第一をしていると書きましたが、「三日何とか」で終わらずに何とか続いています。最近はもっと激しいダンスのようなものも加わりました。わずか7分ですが終わった後は汗がにじみ出てきますので。体がほかほかになります。その後に息を荒げながら祈っています。

 年齢の変化とともに、心に迫ってくる聖書のことばがあるように思えます。私にとっては本章の4節のことば。「あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う」という神さまがイスラエルの民に語りかけることばがとてもありがたいと思うのです。私はほぼ白髪。鏡で眺めると時々、このことばを思い起こします。

 主は「胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ」とご自分の民イスラエルに声をかけられます。人間は誰もが、生まれてすぐ自分の足で立つことはできません。馬や牛などは出産後すぐに四本の足で立ち上がるのですが、私たちは1年以上も誰かに抱かれたり、背負われたりしなければ、自由に歩いてどこかに行くことはできないのです。

 ところがイスラエルは、背負ってくださり、運んでくださった神を忘れて、自分たちが作った神々に心を寄せるようになるのです。まるで自分が誰の世話になることもなくて大きくなったようにして…。けれども、ここでの主のことばは私たちの真の姿を映し出しています。成人としてさまざまなことに挑戦し、大きくなっても、やがて人には衰えが来ます。

 胎内から担いでくださった神は、白髪になっても、自分の足でおぼつかなくなっても、変わらずにご自分の者を背負ってくださる、そして背負って救い出すと約束しておられます。弱くなり衰えてなお、背負うとおっしゃるお方に頼れるとはなんと心強いことでしょう。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki