列王記第一 22章1−28節
妻の念願だった布団の打ち直しを、近所の寝具店にお願いしました。木綿の布団は打ち直しがききます。古くなってすっかり陽に焼けた布団側(がわ)も新しくしてもらいます。今月下旬には仕上がるとのことですが、私たちはしばらく使うことはできません。うーむ、残念!
アラムに奪われたラモテ・ギルアデを奪い返そうと、イスラエル王はユダのヨシャパテを誘います。「イスラエル王」とはアハブのことですが、ここでは名が記されません。殺された後で初めて名前が出てくるのです(39節参照)。なぜユダの王のようには名を記さないのでしょうか。何かの意図があったのかもしれません。
誘われたヨシャパテはさすが南王国ユダの王。イスラエル王に「まず、主のことばを伺ってみてください」と答えます。そこでイスラエルの王が揃えたのが、自分の都合の良いことだけを語ってくれる「お抱え預言者」。けれども、ヨシャパテはそれを察知したのでしょうか、「みこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないの」かとイスラエル王に言います。
イスラエルの王はしぶしぶミカヤの名を挙げます。アハブはミカヤに「ほんもの」を感じ取っていたのかもしれません。ゼデキヤを初めとする御用預言者が良いことを語るのに引き換え、ミカヤは、イスラエルには王がいなくなる、つまりアハブが殺されると預言して、王の気持ちを逆なでします。
数日前に、どうしても今度の国会で通過させたい「あの」法案について、政府与党が都合の良いことを言ってもらうために用意した憲法学者が、この法案は憲法違反、問題があると明言したとのことが大きく報じられていました。一部のメディアは「人選ミス」と書いていましたがそうでしょうか。
「みことばの光」が書くように、自分に都合の良いことを語ってもらいたいとの誘惑は、教会にもあります。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。…というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」テモテへの手紙第二 4章2−4節
ミカヤとゼデキヤ、どちらが良いことを述べる預言者だったのでしょうか。