みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

安息日に

2015年06月08日 | ルカの福音書

ルカの福音書 6章1-16節

   日曜日には、奥多摩福音キリスト教会で礼拝を守りました。何人かの方が「みことばの光」を用いて聖書を読んでおられるのをしり、励ましとともに改めて責任の大きさを思いました。

   きょうからまた、ルカの福音書を読みます。ここには、安息日をめぐっての主イエスと弟子たちとのやりとりが記されています。弟子たちが麦の穂を摘んで食べたことについて、パリサイ人の「なぜ?」に主イエスが従わなかたたったために、彼らの怒りがヒートアップ。ついには、「イエスをどうしてやろうか」と画策するまでに至ります。

   「じっと見ていた」という7節のことばに目が留まります。あらさがしをする視線です。良いか悪いかではなくて、結論が出ているのです。おとしめようとする心が透けて見えます。にもかかわらず、主イエスは、足の不自由な人をお癒しになります。あの視線に負けてはならない、ひるんではならないと、そこに居合わせる弟子たち、そしてこの記事を読むすべての者に訴えているかのように思えます。なぜなら、主は「安息日の主」だから…決して譲れないことだから、と心に響いてきます。

 

《おわびと訂正》

「みことばの光」6月6日分の本文記事に誤りがありました。おわびとともに、次のように訂正いたします。16頁1ー3行目

【訂正前】

「私とあなたは同じようなもの、私の民とあなたの民、私の馬とあなたの馬も同じようなものです」(4)と言うアハブは、アラムとの戦いのために南王国の助けが必要だと考え、同盟を結ぶことを提案する。しかしヨシャパテは即答を避け、「まず、主のことばを伺ってみてください」(5)と答える。

 【訂正後】
 
   ヨシャパテは、同盟を結ぼうとのアハブの誘いに「私とあなたとは同じようなもの、私の民とあなたの民、私の馬とあなたの馬も同じようなものです」と言いはするが、即答を避け、「まず、主のことばを伺ってみてください」(5)と答える。

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