みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

決して捨てない

2013年08月27日 | マルコの福音書
マルコの福音書15章33-47節


 2ヶ月前に栃木県益子町に行った時、茶わんと小鉢をろくろで作りました。焼き上がったので取りに来てくださいとの連絡を受け、きのう出かけてきました。でき上がったのを見ると…、少しずつ愛着が湧いてきますから不思議なものですね。神が私たちの陶器師であるとの聖書を思い起こしました。

 イエス・キリストが十字架上でお亡くなりになる場面。改めて、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」との十字架上のことばを思いました。神の御子として罪を犯すことなど一つもないゆえに、神に見捨てられるはずが全くないお方が、罪ある者として神に見捨てられたのです。
 
 この場面には、イエスが十字架にかかられたことで、今までとは違う新しい局面がこの世界に開かれたことを象徴する出来事がいくつかあります。
 一つは神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたことです。これは、人が聖なる神の前に立つことができるようになったのを象徴しています。
 さらに、百人隊長の「この方はまことに神の子であった」との一言。イエスの十字架はすべての者のためのものだと言うことを象徴しています。

 私は、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」との祈りは、イエスが自分の代わりに神に見捨てられたのだと信じ、自分の主であると信じる者にとっては、そのまま「あなたを見捨てることをしない」というイエスからのメッセージなのだと思えました。

   


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