みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何ひとつ持たないで

2013年08月06日 | マルコの福音書
マルコの福音書10章13-22節


 昨日は、特別養護老人ホームの入居判定会議に第三者委員という立場で参加いたしました。
 入居を申し込んでいる200名近くの中で、緊急性の高い方から入居する方を選ぶのですが、私のつとめとは、会議が公明正大に行なわれているかを第三者の立場から見させていただくというものです。
 いつも思うのは、1行に現されている申込者の情報には、どなたも80年、90年という人生の重みがぎっしりと詰まっているということです。
 「この方は元市会議員だから」とか「この方は社長だから」などということは入居の基準にはなりません。社会的な立場や名声を抜きにして入居が判断されるのです。
 
 主イエスのもとに全く対照的な人々が来ました。
 一方は子ども。弟子たちが連れて来た人(親)を叱ったというのですから、子どもが当時はどのように見られているのかは「推(お)して知るべし」です。イエスは、「神の国は、このような者たちのものです」とも「子どものように…」と言われました。
 「子どものように」とはどのような意味なのでしょう。
 この後に来る裕福な人の反対側にあるということなのだと思います。それは、地位もない、お金もない、それこそ「うるさい! あっちへ行ってろ」などと言われてしまう子どものようでなければ、ということなのです。
 そうでなければ神の国には決して入れない、とイエスは言われました。

 「何ひとつ持たないで」(讃美歌21 453)という讃美歌の出だしのことばを思います。
 「何ひとつ持たないで 私は主の前に立つ…」

   


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