詩篇147篇
昨日は、障がいある方々のための支援施設の終業日。夜はスタッフで食事を共にしました。「おいしい」「おいしい」と食べて、気がついてみたらデザートになっていました。ということで、残っているのはデザートの写真のみ。とてもおいしいシュトーレンでした。
「みことばの光」巻末にある「毎日聖書を読む聖書同盟の方法」に沿って、この詩篇を読みました。
「考える」という項目の中では、「神はどのような方、どのようなことをなさる方か」に当てはまる聖句が圧倒的に多いということを発見しました。圧倒的な神の恵みを賜った者たちができることといったら、「ハレルヤ」と主をほめたたえることなのですね。そのことだけだと言っても、言い過ぎではないでしょう。
「みことばの光」が書くように、この詩篇はバビロン捕囚後のエルサレム再建と民の復興という背景があると考えられます。異国の権力を目の当たりにした民が、都を建て直そうと荒れ果てたエルサレムに戻って来ます。その際に彼らは、「主はエルサレムを建て、イスラエルの追い散らされた者を集める」と賛美するのです。
考えてみますと、捕囚された民の子どもたちが帰還民の中心なのですね。彼らは、親たちのことばを何度となく聞かされて、神の約束を信じて帰国の日を待ち焦がれていたのです。ですから、捕囚からの帰還とは言っても、初めてエルサレムを見る人々がほとんどだったと想像できます。
神の約束の実現を今の世代で見ることは叶わないかもしれないが、次の世代には必ず…と信じて、託していくというのもまた、大切な信仰の継承であると思いました。
そのように考えると、「われらの神」「われらの主」であると、民が恵みをゆたかに与えられる神を賛美するという姿に、神の約束が成就したと言えるのではないでしょうか。
昨日は、障がいある方々のための支援施設の終業日。夜はスタッフで食事を共にしました。「おいしい」「おいしい」と食べて、気がついてみたらデザートになっていました。ということで、残っているのはデザートの写真のみ。とてもおいしいシュトーレンでした。
「みことばの光」巻末にある「毎日聖書を読む聖書同盟の方法」に沿って、この詩篇を読みました。
「考える」という項目の中では、「神はどのような方、どのようなことをなさる方か」に当てはまる聖句が圧倒的に多いということを発見しました。圧倒的な神の恵みを賜った者たちができることといったら、「ハレルヤ」と主をほめたたえることなのですね。そのことだけだと言っても、言い過ぎではないでしょう。
「みことばの光」が書くように、この詩篇はバビロン捕囚後のエルサレム再建と民の復興という背景があると考えられます。異国の権力を目の当たりにした民が、都を建て直そうと荒れ果てたエルサレムに戻って来ます。その際に彼らは、「主はエルサレムを建て、イスラエルの追い散らされた者を集める」と賛美するのです。
考えてみますと、捕囚された民の子どもたちが帰還民の中心なのですね。彼らは、親たちのことばを何度となく聞かされて、神の約束を信じて帰国の日を待ち焦がれていたのです。ですから、捕囚からの帰還とは言っても、初めてエルサレムを見る人々がほとんどだったと想像できます。
神の約束の実現を今の世代で見ることは叶わないかもしれないが、次の世代には必ず…と信じて、託していくというのもまた、大切な信仰の継承であると思いました。
そのように考えると、「われらの神」「われらの主」であると、民が恵みをゆたかに与えられる神を賛美するという姿に、神の約束が成就したと言えるのではないでしょうか。