創世記 50章1−14節
月曜日、日本でいう車検を近くの修理工場でしてもらいました。その後、記念い洗車を。しばらく洗っていなかったのですが、さっぱりとしました。でも、軽い夕立が……。「洗車をすると雨」というジンクスは今回も有効でした。見上げると初めての夏雲が…。
ここは、ヤコブの葬儀の記事です。ヤコブは子どもたちへの祝福のことばを告げてから息絶えました。3節にヤコブの死をエジプト中が悲しみ70日間喪に服したとあります。ファラオの死に際しての喪の期間が72日とのことですので、ヤコブのエジプトでの立場がどのようなものだったかが想像できます。それは、ファラオに次ぐ位にあったヨセフゆえにということではなく、神がヤコブをそのように置かれからです。
37章2節に「これはヤコブの歴史である」と書かれています。ヨセフ物語の始まりにこのように書かれているのは不思議な感じがしますが、エジプトに来てからファラオを祝福し、ヨセフの二人の子どもたちを祝福し、さらに12人の子どもたちを祝福するヤコブのことを考えると、ヨセフが中心のようでありながら、なおヤコブの物語なのだということを、ヤコブの葬儀の記述は伝えています。
ヨセフをはじめヤコブの子どもたちは、カナンの地に父の遺体を運び、盛大な葬儀を行ない、父ヤコブの遺言どおりにマクペラの畑地の洞穴に葬りました。
目に留まるのは、ヤコブを葬ったヨセフたちはエジプトに戻ったという記述です。曽祖父アブラハムの、祖父イサクの、そして父ヤコブの墓があるのだから、私たちもここで暮らそうとはだれも言い出さなかったのです。創世記15章13節で「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる」と主がアブラムに語られました。
事情が許すから、環境が整ったからといっても、時ではないこともあると、「エジプトに戻った」ということばは教えています。何に基づいて行動するのかを問われる一節です。