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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

預言するなと「預言」する

2024年12月14日 | ミカ書

ミカ書 2章

 日本はこの冬一番の寒さ到来と報じられていました。どのような朝をお迎えになりましたか。金曜日当地の最高気温は2度、最低気温は0度。

 2章1−5節では、他人の畑を欲しがる悪い地主に、主が「わざわいだ(ああ)」という嘆きと憤りの入り交じった声でさばきを宣告しています。

 彼らは夜の間中、どのようにして不当に畑を自分のものとするのかを画策し、実行します。「朝の光とともに」とはなんという皮肉なことばなのかと思います。なぜなら、朝の光は暗闇を追い払い、すべての隠し事を明るみに出すということの象徴として用いられるのではないかと思うのです。

 もちろん主は、彼らの悪事を見逃すことはなさいません。預言者ミカは「主のことば」を彼らに告げるのですが、それに対する偽預言者たちの答えが「戯言(たわごと)を言うな」です。自分たちには知恵がある、力がある。自分たちの知恵と力で勝ち取ったのだ、文句があるか! ということでしょう。

 「戯言を言うな」は「預言するな」という意味のことばです。主のことばをまっすぐに伝える預言者たちに向かって、「そんな預言はうそだ。われわれが辱めを受けることはない!」と、地主たちにすり寄るかのようにして偽預言者は言うのです。

 教会が今のこの時代に語っているのは、どちらのことばなのだろうかと考えます。主に背き自分の勝手を貫こうとする人々にすり寄っているのか、それとも「だめなものはだめ」と語るのかが問われています。


厳しいことばはなぜ…

2024年12月13日 | ミカ書

ミカ書 1章

 すっかり葉を落とした街路樹を久しぶりに歩きました。暖かな室内から外に出ると寒さを感じるのですが、外歩きをするうちに体が慣れてきて、家に戻るとホカホカと気持ちが良いです。長い間通行止めだった川沿いの道も通れるようになり、なぜか嬉しくなりました。

 今日から「ミカ書」を読みます。1章1節には「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に」とありますので、ミカは昨日まで読んできた預言者イザヤと同時代の預言者だったことが分かります。

 さらに「彼がサマリアとエルサレムについて見た幻」とあることから、預言者ミカは当時二つに分裂していた南王国ユダと北王国イスラエル(サマリア)について語っていることが分かります。

 もう一つ1節で目に留まるのは、「ミカにあった主のことば」です。これは預言者から出たものではなく、「主のことば」です。これからミカが語るのは厳しいことば。しかし、ミカはその内容がどんなに厳しいものであっても語らなければなりません。なぜなら、それは「主のことば」だからです。

 2―7節には、北王国イスラエルが滅びるとあります。その理由は「ヤコブの背き…、イスラエルの家の罪…」です。具体的には彼らが神ならぬ偶像を拝んだことです。歴史は、預言者ミカの時代に北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたと記します。

 しかし、北王国を滅ぼしたアッシリアの勢いはとどまることを知らず、南王国ユダのエルサレムにまで達するのです。8−9節に並ぶのは南王国ユダの町々です。ある解説は、これらの町々はミカの出身地の「モレシェテ・ガテ」を中心にした半径14キロにあると書いています。きょうの「みことばの光」にはこれらの町の意味を詳しく書いています。それはユダが味わう苦痛と関係があります。

 イザヤ書やミカ書には、読んでいると辛くなるような厳しい神からのさばきのことばが多く見られます。ですから、読者としてはもっと明るく、心が豊かになるようなことばが読みたいと思うのです。それでも読み進めていくために知るべきは、神はご自分の民を真に生かすために語っておられるのだと気づくことです。


祈りが聞かれて

2019年12月18日 | ミカ書

ミカ書 7章

 一泊二日の旅を終えて帰宅しました。

 月曜日の続きを…。クリスマスマルクトでの幼稚園児のクリスマスソングの発表会には、ご家族を初めたくさんの「観客」が集まり、大盛況。小さなお友だちの歌を、若い人たちも笑顔で聞き入っているというのは、微笑ましい光景でした。

 そのあとは近くの高齢者施設でのクリスマス音楽会へ。ここでも、子どもたちがチェロ、ピアノ、バイオリン、金管楽器、大人の人たちはサクソフォーン二重奏。ドラムの独演もありました。途中でつっかえるお友だちもいましたが、堂々と最後まで弾き終える姿に感動。さらに、午後8時からは月曜日の礼拝に加えてもらいました。ちょっとした異文化体験のようで、良い時間を持つことができました。

 メシアの誕生を預言しながらも、預言者ミカはなお悲しんでいます。敬虔な者は消え失せ、賄賂などの悪事を働く者が良い思いをするような時代を見ているからです。けれども、それは望みが絶えてしまったということではありません。ミカは嘆きの中から神を仰ぎ見るのです。2節から6節で描かれる嘆くべき世界の様子は、今でも私たちの周りに起こるようなことです。

 救い主がこの世界に来たのになぜ? という嘆きやつぶやきが聞こえてくるようです。しかし、ここで預言者ミカは「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む」と、神を信頼しています。なぜ彼は、暗い世の中でも神を信頼するのでしょうか。7節の後半にある「私の神は私の言うことを聞いてくださる」がその理由です。

 聞いてくださるから神に祈るのだというのは単純ですが、大切なことです。もしかしたら、多くの信仰者がこの事実を信じるのをとうの昔にやめてしまって、祈りを口に出すことさえしなくなっているのではないだろうか、などとも案じます。何事かが起こったら、すぐに神への祈りと賛美を口にしておられた方の姿を目の前にして思いました。私たちも祈ります。


何が良いことなのか

2019年12月17日 | ミカ書

ミカ書 6章

 更新が遅くなりましたことをお詫びいたします。

 月曜日は、ニュルンベルグの近くにある小さな町に住む主にある友のお宅を訪ねました。出会ったのはほぼ一ヶ月前。黒い森の中のキリスト教の宿泊施設の朝食の席でした。そのやりとりは少し書いたかもしれませんが、一泊させていただいています。私たちのために一生懸命「案内プラン」を作ってくださいました。お昼はその方のお友だち夫妻と五人で。そのあと町の中心部を散策しながらショッピング。午後4時半からはクリスマスマルクトの舞台での幼稚園児の歌の発表会を鑑賞…と続きまして、帰宅したのはなんと午後10時半でした。続きはまた明日…。

 本章の8節は、人に求めておられる神のお心を一つで語っていることばとして、多くの方に親しまれています。6節と7節には、神の告発を聞いてのご自分の民の答え、反論のようなことが書かれています。この箇所は、信仰深い民が、神に「何を…」と問いかけているようにも聞こえますが、2節に主がイスラエルと論争するとありますので、やはり論争の中の民の反論だと受け止めるほうが良いと思います。

 民は「私はあれをしたではありませんか、これもしました」と自分たちの行いが正しいことを主張しますが、神が求めておられるのはそのようなことではないのです。ここから、民と神との間のズレのようなものを覚えます。そしてそのズレは、時代を超えて今の自分たちも心すべきことではないだろうか、と思うのです。神のために時間を費やし、財を用いているのに、神とともに歩んでいないということはないのかと…。


人に望みを置かず

2019年12月16日 | ミカ書

ミカ書 5章

 待降節第三日曜日、私たちの教会では一足先のクリスマス礼拝、お祝いの会を持ちました。今月から新しい場所に移ったので、何もかもが初めて。幸い、礼拝する場所とお祝いの会をする場所が違うので、予め準備をしておくことができました。普段と違って、たくさんの方々といっしょに過ごすことができました。

 前にも書きましたが、ミカ書5章2節の預言はイエス・キリストの誕生において成就したと考えられています。けれども、その前後に書かれていることを見ると、イエスの誕生の時代と結びつけるのは難しいように思います。ミカ書に限りませんが、預言書を読んでいて戸惑うのは、その預言がいつのことなのかを知ることについてです。「みことばの光」の「ミカ書を読む前に」に、このような文章があります。

 「預言者の語り方は独特である。彼らは、現実の世界、近い将来、700年後の救い主、世の終末など、何重もの世界を幻で見ており、充分な説明もなしに、あちらからこちらへと話題が移る。」

 ここからわかるのは、「イスラエルを治める者」は平穏な時においでになるのではないということです。その方が来ると、荒れ狂う困難の中に平和が訪れます。しかし、困難なことが解決するかというとそうではなく、民族の離散も起こります。心に留まるのは、「彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない」という7節のことばです。

 これがいつ起こるのか、もうすでに起こったのかははっきりしません。私は7節のこのことばを読んで、故国を離れて住む人々にとって、何が、誰が頼りになるのかということを考えました。住み慣れた場所にいれば家族や友だちにたよることができますが、そこから話された人にとっては何が頼りなのだろうかということです。そのような不安定な中で、望みを神に置く人々が一人でも起こされるようにとの思いを持っています。

*写真は礼拝する教会の庭にある「飼い葉桶」(Krippe)です。とても特徴的(?)な表情をしていますね。


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