使徒の働き 21章17−26節
斜向かいにお住まいの方と久しぶりに遭遇。互いに、元気にしていると声をかけ合いました。安否確認ですね。お元気そうでよかったです。
ここでは、エルサレム教会の指導者たちとパウロとのやりとりが記録されています。初めは、パウロの宣教報告。この時パウロはマケドニアとアカイアからのエルサレム教会への支援献金を渡したことでしょう。
19節の「自分の奉仕を通して神が異邦人になさったこと」ということばに目が留まります。パウロは、三度目の伝道旅行で大きな困難を経験しながらも、福音を伝えて人びとを救いに導き、教会が成長しました。しかし彼は、ここで自分がやりました、がんばりましたとは言いません。「神が…なさったこと」だとして報告します。
しかしパウロがエルサレムに戻って来たことは、大きな波乱が起こり兼ねないということでした。エルサレムのユダヤ人クリスチャンは誰もが律法に熱心な人々でした。しかし、彼らの間でのパウロの噂は良いものではありませんでした。そこで、指導者たちはパウロに提案します。23ー24節に提案の内容が書いてあります。
パウロは、エルサレムの指導者たちの提案を受け入れ、誓願に参加しました。ここを読み、「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。…」というコリント人への手紙第一9章19節以降のことばを思いました。
15章の「エルサレム会議」でも、異邦人に割礼を強いないという決議を、ユダヤ人につまずきを与えないために「偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けるべき」ということばを添えて決定しましたので、パウロはここで、指導者たちに公然と反論することもできました。しかし彼は受け入れたのです。
これは妥協ではなく、福音のための愛に基づく決断です。コロナのワクチンを巡っては、ワクチンに反対する人も一定数います。反対の大きなデモもありました。ワクチンを必要だとして接種した人と、必要ないという確信を持っている人とが一緒に生きていくのに必要なのは、どのようなことなのかと、パウロの行動から考えさせられました。