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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

初めの一歩

2021年08月16日 | 使徒の働き

使徒の働き 23章23−35節

 昨年6月第三日曜日以降、基本的には礼拝堂で、そしてインターネットでとハイブリッドの礼拝を行ってきましたが、礼拝堂では讃美歌や聖歌を声を出して歌うことができませんでした。「心の中で主を賛美しましょう」という司会者のことばが当たり前のようになっていました。しかし、昨日の礼拝からようやくのことで、マスク着用という制限はありますが、声を出して賛美できるようになったのです。声ばかりでなく、涙も出ての賛美でした。

 この箇所には、エルサレムからカイサリアにパウロを護送する様子が描かれています。驚くのは、パウロのために472人のローマ兵が動員されていたということ。夜の9時に出発して途中のアンティパトリスで一泊します。この町はヘロデ大王が再建し、父であるアンテパテルにちなんで名づけた町で、エルサレムからここまでは55キロの地点でした。

 夜のうちにローマ部隊は「危険地域」からパウロを連れ出すことができました。ですから、翌日のカイサリアまでの道中は騎兵たちだけが護衛をしたということになります。一人のローマ市民の護衛のために、これほどまでのローマ兵士が動員されるということに驚かされます。今で言えばVIPですね。

 この出来事は、エルサレム出発の前夜、イエスがパウロに「勇気を出しなさい。あなたは、…ローマでも証しをしなければならない」と言われたことが実現する初めの一歩でした。この先ルカは、パウロのローマ行きを詳しく書いていきます。それによるとパウロのローマ行きはすんなりとは行かずに、権力者の思惑に左右されて留め置かれたり、船は難破したり、マムシにかみつかれたりで、実現が危ぶまれることばかり。

 しかし、イエスが約束されたことは、あらゆる困難を乗り越えて必ず実現するのです。しかもパウロにはローマまで、行動の自由は与えられていないのです。


勇気を出しなさい

2021年08月14日 | 使徒の働き

使徒の働き 23章1−11節

 ここ数年増えてきたのが電動スクーター。もともと自転車が多く、自転車のための道も整備されている町ですが、自転車とは違った接近音でうしろから追い越していくのがこれです。追い越される側としては、自転車のほうがよいのに…と思ったりしています。

 使徒の働きを書いたルカは、エルサレムで逮捕されてからローマに着くまでのパウロの様子を詳しく書いています。ルカは異邦人ですので、もちろん最高法院の中で「取材」することはできません。パウロから聞いたことを確かめながら書いたのではないかと想像しています。

 パウロの最高法院での弁明の場を設けたのは、ローマの千人隊長。22章30節には「パウロがなぜユダヤ人たちに訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い…」とあります。彼は千人隊長という職責にふさわしく、物事の真相を突き止めようという姿勢を持っていたのです。彼がパウロのそばにいたのは、神がご自分の計画を進めるための「人事」だったのではないでしょうか。

 パウロの最高法院での弁明の仕方には興味があります。時の大祭司アナニアは、世間を騒がせたパウロが少しはしおらしくするものだと考えていました。ところがパウロは、胸を張って「神の前に生きてきました」と語るのです。アナニアがパウロの口を打つように命じた理由は、そのようなことだったのでしょう。アナニアに尊敬を欠くと思われる行動をしたこと、法院内に騒ぎを招くような言動などは、パウロの戦術とも考えられます。

 しかし、11節での主のことばを考えてみますと、最高法院でパウロは相当疲れ、もしかしたら気持ちが沈んだのかもしれないとも想像するのです。そんな彼を主イエスは励まし、約束を与えられたのです。

 困難な時に、主は私にも語ってくださる…と、教えられます。


福音のために用いる

2021年08月13日 | 使徒の働き

使徒の働き 22章17−30節

 当地は涼しい夏ですが、水曜日と木曜日は比較的気温が高かったです。日本では梅雨末期を思わせるような激しい雨での被害が懸念されています。

 エルサレムの民衆へのパウロの話が続きます。17−21節は、9章26−30節にある回心後のパウロがエルサレムを訪ねた記事にはなかったものです。9章29ー30節を読むと、パウロ殺害の陰謀があったので、エルサレムの兄弟たちがパウロをカイサリアに連れて下ったとあります。きょうの記事は、パウロにエルサレムから出るようにと促したのは、主イエスだったことが明らかにされています。

 さらにこの時、主イエスはパウロを「遠く異邦人に遣わす」と言われたことも明らかにします。きょうの「みことばの光」が解くように、これがユダヤ人の逆鱗(げきりん)に触れることになるのです。異邦人をわれらの神が顧みるなどありえないというのが理由なのです。

 この後の展開にかかわるのは、ローマの千人隊長。パウロは自分が生まれながらのローマ市民であることを明らかにすることによって、千人隊長が彼に対する扱いをさらにていねいなものにしていくことになります。パウロはこの時のためにローマ市民であることを努力して得たのではなくて、生まれながらのものでした。しかし、そのような立場や資格さえも、福音のために用いられるということをここから教えられます。

 さて自分は…。


すべての人に対して…証人に

2021年08月12日 | 使徒の働き

使徒の働き 22章1−16節

 「みことばの光」に掲載したエレミヤ書を一冊にして出版する作業が大詰めに。表紙もでき、最後の校正をしています。発行しましたら案内いたします。

 使徒の働き22章以降では、パウロがさまざまな人に話をする場面があります。ここでは群衆に、23章ではユダヤ教の最高法院で、24章ではローマ総督フェリクスに、そして、26章ではユダヤの領主アグリッパに語るのです。相手が自分を殺そうとしている人であっても、自分を利用しようとしている人であっても、興味本位の人であっても、彼は誠実にイエス・キリストを伝えます。

 パウロの呼びかけのことばが目に留まります。彼はそこに居合わせた人々を「兄弟ならびに父である皆さん」と語りかけます。「殺してしまえ」と自分に向かってこのように話し出したのは驚きです。パウロは回心の前に、エルサレムでステパノの弁明を聞いていた時のことを思い起こしていたのかもしれません。

 彼はここで、自分の回心のいきさつを話します。かつての自分、イエスとの出会いについて、証しをします。聞いている人たちと自分の間には結びつきがあることを忘れずに、ナザレのイエスが自分を救ってくださったと語っています。

 パウロのような劇的な回心を体験した人をうらやましいと思う方もいるかもしれません。気がついてみたら神が自分とともにいてくださった、特にいつ、どこでイエスに出会ったということがはっきりしない人もいます。しかし、負い目を感じることはないのです。人生でどのようにイエスに出会ったかについては、人によってさまざま。比べてうらやましいと思ったり、自慢したりするものではないのです。今、イエスとともにある、というのが大切なこと…。


神の導き

2021年08月11日 | 使徒の働き

使徒の働き 21章27−40節

 久しぶりにオフィス用品店に行き、印刷用紙を5包(2500枚)購入しました。昨年来、紙を使うことが激減。それはそれで良いのかもしれませんね。

 ここには、エルサレムでパウロを巡っての大きな騒動が起こったことが書いてあります。よりによって、アジアで激しくパウロに対立していたユダヤ人がパウロを見つけてしまうのです。しかも、彼らは町でパウロがエペソ人トロフィといっしょにいたところを目撃していたので、宮に異邦人を連れ込んだとして騒ぎ立て、周囲を巻き込んで大きな騒動になってしまったのです。

 日曜日の礼拝のメッセージの初めに、「人生は別れと出会いの繰り返し」とかつてのヒット曲の歌詞を引用しましたが、パウロにとってはあってはならない出会いだと言えますし、敵対者にとっては「ここであったら百年目、これこそ神の導き」だと思ったかもしれません

 クリスチャンは、「神の導き」ということばを用います。思いがけない出会いを経験した時もそんなふうに言うかもしれません。パウロにとってこの出会いは「神の導き」だったのだろうかとの思いに駆られます。しかしパウロは、エルサレムで自分に何が起こるのかを覚悟していました。そして、大きな苦難から逃れたいとは語ってはいませんでした。ですから、パウロにとってこれは、起こるべくして起こったことだと言えます。

 もちろん、それは笑って受け入れるような事態ではありません。パウロはもう、自分ではコントロールできない事態に追い込まれてしまいました。そこに登場するのはローマの千人隊長。結果としてこの隊長がこれから先のパウロのいのちを預かるように行動するのです。そして、パウロに大きな「伝道集会」の機会を用意までするのですから、不思議です。神が備えておられた出会いだと言えます。


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