使徒の働き 26章1−18節
「自分のことを話してよろしい」とのアグリッパのことばを受けて、パウロは自分の身に何が起こったのかを話し始めました。
使徒の働きにはパウロの回心について、三度の記述があります。一度目は9章にあり、ダマスコに向かう途中での出来事が書かれています。二度目は21章、エルサレムの民衆の前でパウロが自分の回心(キリストを信じて罪が赦されること)について語ったことが書いてあります。そして三度目がこの箇所。
6、7節の「望みを抱いている」ということばに目が留まります。パウロは「望みを抱いている」ためにアグリッパの前に自分が立っており、「望みを抱いている」ためにユダヤ人から訴えられたとここで語ります。望みとは何でしょうか。8節の「神が死者をよみがえらせるということ」、これが望みです。
父祖たちがずっと望みながら見ることのなかったよみがえりについて、イエスの弟子たちが「イエスは復活し、生きている」と話しているのを、許しがたいことだと、パウロは考えました。いつかはその日が来る、しかし、そんなに簡単に来るものか…と思っていたのかもしれません。
あのナザレ人の一派は、自分たちの首領(イエス)が死からよみがえったと触れ回っている…。そんなインチキがまかり通るはずがないというのが、パウロがイエスを信じる人々を迫害した力になっていたのです。
ところが、そのイエスが直接、パウロに会って話をされたのです。この瞬間に、敵であったイエスがパウロの主(しゅ)になりました。復活のイエスに会った、いや、イエスが会ってくださったことで、彼は人生の向きを正反対に変えました。