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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

どうして私が…?

2017年05月15日 | エステル記

エステル記 2章

 12日間滞在した娘家族がきのう帰国し、二人の生活が戻ってきました。ちょっぴり寂しくもありますが、それぞれに神が与えられた務めの場に配置されるというようなことなのですね。上の孫が「ああ、○○ちゃんと遊びたいなぁ」と幼稚園のお友だちの名前を挙げていた時に、この子どもたちも日常に戻るのだと思いました。

 エステルにとっては、日常がひっくり返されるような大事件が起こります。ペルシヤの王妃になるのです。この章でのエステルの立ち振る舞いを見ると、彼女はこのような大きな変化の中にあってパニックになることなく、舞い上がることなく、彼女自身を貫いているような印象があります。「みことばの光」が書くように、エステルに神が賜った「沈黙を守ることができる」ということなども、突然の大変化の中でもゆがめられてはいません。

 「神の御手がどのように働いているか」としてこの章を見ますと、エステルがペルシヤの王妃になるということはその一つです。やがて彼女は自分に舞い込んできた新しい立場ゆえに、民族大虐殺を未然に防ぐという大きな働きをするのです。


プリムの日

2012年05月23日 | エステル記
エステル記9章20節-10章3節


 きょうは抜けるような青空。スカイツリーの開業日がきょうならばどれほど良かったのにと思っている関係者、初日に上る予約をした人たちが多いことでしょうね。でも、なかなか思うようにならないところがまたおもしろい! のですよ。

 昨日は午前中、「みことばの光」の新しいサイクルの準備の一つとして、デザイナーさんのお宅を訪ねました。仕事の話はそそくさと、Macのことなどあれこれ話に花が咲き、気がついたらお昼時。奥さま手作りのおいしいサンドウィッチをごちそうになりました。ほんとうにおいしかったです! 
 はっとするほど美しい木々の緑を借景とした、素敵な所でした。

 神のみわざを記念する「プリム」の日が制定された、というのがエステル記の結末。この日は今に至るまで守られています。
 「日本ヘブライ文化協会」のホームページには「プリム祭」を説明するページがあります。
 「ヘェーー!」「初めて知った!」ということがたくさん掲載されています。
 プリムの日に食べるのお菓子は、なんと「ハマンの耳」という名前です。ユダヤ人を殺害しようとしたハマンを記憶するために、耳の形をしたお菓子を食べるのだそうです。
 この日、シナゴグ(ユダヤ教の会堂)ではエステル記が読まれます。そして、「ハマン」という名前が出てきたら、騒音を立てたり、足踏みしたりするのだそうです。
 おもしろかったのは、この日には冗談を言っても赦される日なのだということ。つまり、「エイプリルフール」のような日でもあるということでしょうか。

 教会にも、そしてそれぞれにも記念日があります。キリスト者にとって記念日とは、「みことばの光」にあるように「そのことにかかわった多くの人々の助けや支え、何よりも神の充分な恵みを感謝」する日です。
 「毎日が記念日」という気持ちで、きょうも歩みたいと思います。





獲物には手をかけなかった

2012年05月22日 | エステル記
エステル記9章1-19節


 昨日は金環日食に沸きましたが、きょうは東京スカイツリーの開業日。スカイツリーの高さの634メートルというのは、「武蔵(むさし)」からとられたということ、朝刊で初めて知ってヘェー! ご存知でしたか?(知らなかったのは私だけだったりして…) 
 数字の語呂合わせというものは、いろいろな場面でみられておもしろいですね。

 先日、妻が携帯電話正式デビューをしましたが、お店の人に「お好きな番号は?」と尋ねられて希望したのが、自分の名前の語呂合わせ。最初の3桁は携帯電話固有の「例の数字」ですが、その次は九九の中の一つ、そして終わりの四桁が名前というわけです。本人にとっても、私にとってもおぼえやすくて便利。もっとも、普段ほとんど数字を意識することはありませんが…。

 エステル記9章。「みことばの光」が書くように、「ユダヤ人の敵に対する行為を、現代の私たちは残虐に感じるかも」しれません。ハマンによる虐殺計画を食い止め、首謀者のハマンを処刑したのだからいいのではないの? それなのに、500人、300人と今度はユダヤ人が敵を大量に殺すことに、引っかかる人もおられるでしょう。

 それだけハマンによる忌まわしい計画に加わった者の数が多かったということなのでしょうか。それから、繰り返されている「獲物には手をかけなかった」ということばから推し量るに、ユダヤ人による敵への報復は節度あるものだったということが言えます。敵への大勝利に心緩んで、やりたい放題、好きなだけの蛮行、愚行を重ねたということではなかったということですね。

 私たちの目に見えない敵に対する姿勢は、ここにあるユダヤ人のハマンとその取り巻きたちに対する姿勢のように毅然としたものでなければならないということも、教えられるのです。





喜び、楽しみ…

2012年05月21日 | エステル記
エステル記8章


 今朝のご近所は「金環日食」で沸いていました。
 お隣とまたそのお隣では通学前の子どもたちが金環日食観賞用眼鏡で鑑賞。「見えた!」と喜んで学校に出かけていきました。
 何といっても、何十年かに一度のチャンス(関東地方での次の金環日食は101年度とのこと!) エーと、私は段ボールに穴を開けて、その穴の向こうに映る日食を鑑賞しました。カウントダウンをしていた人もいたようですね。

 「悪いハマン」は処刑され、モルデカイは王からの栄誉を受けました。しかし、これで終わったのではありません。王の指輪で印がされたユダヤ人を滅ぼすための法令はなお有効です。取り消しの勅令がインドからエチオピアまでの127州に伝えられていきました。
 早馬は何頭必要だったのか、東西の果てには何日で勅令が届くのか、…興味は尽きません。前の勅令の施行日までに間に合うのでしょうか。

 ついに、この州に、あの町に法令が届けられました。するとユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って祝日としたとあります。
 
 主イエスの十字架と復活によって、それを信じたものが残らず罪と死から解放されるという知らせを、果たして私たちはどれほど喜んでいるのだろうか、それは決して色あせるものでなく、日々持つべき感動、喜び楽しみなのだということに気づきます。






逆転

2012年05月19日 | エステル記
エステル記6章


 昨日の午後は、あるイスラム国家に福音が勢いよく伝えられている様子を、聞くことができました。
 講師は次のような話をしてくださいました。

 ・暴力に対しては恐れや憎しみが沸いてくるが、怒りで返すのではなくて愛しなさい。
 ・自分と違うからといって無視しないで、関心をもちかかわりをもち、愛しなさい。
 ・「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」

 話を聞いているうちに、これはイスラム国家だけにではなくて、日本でイエス・キリストの福音を伝えていく上で忘れてはならないことだと気づきました。
 田植えの季節。秋の実りを期待して農家の方は田植え機を操作しています。私たちも、蒔かなければ収穫はないという当たり前の原則のうえに立つことが必要なのです。

 6章には逆転現象が見られます。王に重んじられ得意絶頂にあったハマンにではなくて、ハマンが苦々しく思っていたモルデカイが王からの栄誉を受けることになったからです。ハマンがどれほど動揺したかは、「嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った」という描写からも明らかです。挙げ句の果てに、妻から「もうあなたは負けたわ」と言われる始末。
 王が眠れずに、年代記を持ってくるように命じ、過去の事件を見つけさせ、モルデカイに栄誉を与えることになったのは「この時」でなければならなかったのです。もし、王の不眠が次の晩であったら、ハマンは得意絶頂でエステル招待の酒宴に出たでしょうから、どのような反撃を食らわしてくるかわかりません。

 今朝読んだ「朝ごとに夕ごとに」(スポルジョン)の中、「車輪が一転すれば上下は逆転する」との一言を思いました。神はいとも簡単にそれをなされるのです。



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