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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の時を待つ

2012年05月18日 | エステル記
エステル記5章


 「何か大きな音がする」と隣で寝ている妻が…。何だろうと耳を澄ませば、雷の音でした。
 昨日、「雷が怖い」という話をしたばかりなので、この時も怖かったかというと、眠気には勝てません。そのまま朝を迎えました。
 起きた時には雨が降っていましたが、今は青空が広がっています。寝ている間にもいろいろなことが起こっているのですね。

 きょうの箇所には、「神の時を待つ」というタイトルが「みことばの光」ではつけられています。
 「さて、三日目に」と5章は始まります。三日間エステルも、そしてシュシャンに住むユダヤ人のすべても断食をして主に願い求めていました。すべては、この時のためだったのです。「この時」とは、エステルが意を決して王に願い求める時のことです。エステルが王宮の中庭に立つというのは、いのちがけの行動。しかし、彼女は主が自分を王のもとに遣わしておられるとの確信に立って、王に近づきました。
 
 月に一度、何人かで「ローマ人への手紙」を読み進めています。昨日の会では、「神の恵みと信仰」ということで分かち合いをしました。神の恵みに寄って与えられた賜物、そこには神が人のために備えられた「時」も含まれます。
 その賜物を、主に信頼して用いていくのが信仰者の歩みなどだということを改めて教えられたのです。

 神の「時」の中に置かれているというのは、深い平安をおぼえることです。

 


勇気はどこから

2012年05月17日 | エステル記
エステル記4章


 朝5時にラジオニュースが鳴るようにセットしています。
 きょうは大気が不安定で、朝から深夜まで各地で雷雨や強風が起こるのだそうです。
 茨城での竜巻被害以降、気象予報が変わりましたね。雷雨や竜巻が起こる可能性を報じ、頑丈な建物に避難するようにと知らせるようになりました。

 実は、大の雷嫌い。子どもの頃はこわくてこわくて、押入の中にはいり、耳をしっかり両手で塞いでじっとしていました。ピカッと光ってその後すぐに地響きのような音が来ると、もうダメ。さすがに、60を越えた今はそれほど怖がることもなく、といいますか、押入に入っているのを見られたら…、と想像すると我慢しているしかありません。
 勇気がないのです。

 きょうの「みことばの光」のタイトルは、「勇気を求められるとき」。
 民族存亡の危機に、王妃エステルが勇気を奮い起こして立ち上がるという箇所です。
 この書に名前を残しておられない神は、ご自分の民の危機に際して、二人の立場の違う人をお使いになります。
 「みことばの光」には、「…養父(モルデカイ)は娘(エステル)と同じ神への信仰によって、ともにことに臨もうとする」のです。
 
 「神にのみ望みを置いて勇気を奮い起こした」ともあります。確かに、自分のことを見つめていても勇気は出ていません。雷が怖いとぶるぶるしているのですから…。






 


危ない時

2012年05月16日 | エステル記
エステル記3章

 
 きょうは今年初めて半袖で過ごします。今ごろは暖かかったり、寒かったり、暑かったり…で、何を着ていいのか迷う季節だと思います。電車に乗っても、込んでいると送風? いや冷房がついているのでしょうか、寒いと感じることもあります。インドネシアから戻ってきた友人は、風邪を引いてしまいました。日本は寒いのだそうです。

 ペルシヤの各州に散った「モルデカイの民族」を根絶やしにする企てが実行に移されました。王の名によって国中に公示された命令は、ユダヤ人はそれこそ身の毛もよだつようなものでした。
 権力ある者の身勝手さによって、多くのいのちが失われるということは、歴史が繰り返す愚かさです。
 自分を神のように考えて、人々をひざまずかせようとするハマンの姿に、また、自分の名前で出す命令がどれほどの混乱をもたらすかということを想像することのできない王の姿に、人間の愚かさを見る思いがします。

 それは、この二人にだけ特別なものではなくて、だれもが陥りやすい落とし穴です。
 北京オリンピックマラソンの優勝者、ワンジルの悲劇が今朝の新聞に載っていました。人は権力を握り、栄光を自分のものにした時が危ない、のですね。

 「王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った」とこの章は終わります。



 
 


パズルのような

2012年05月15日 | エステル記
エステル記2章


 一時期ジクソーパズルに夢中になっていたことがありました。500、1000ピース、そしてついに2000ピースの大作に挑戦。
 ミレーの「落ち穂拾い」を時間の合間に取り組み、2ヶ月ぐらいかけてようやく完成させました。アニメのパズルですと色がはっきり分かれているものが多いのですが、落ち穂拾いはそうはいきません。
 苦労しただけに、完成した時の喜びはひとしお。額に入れて、しばらく部屋の壁を飾っていました。

 エステル記も、パズルのひとつひとつのピースが組み立てられていくような構成だと思います。エステルの名前はこの2章で初めて登場するのですが、彼女が来るべきユダヤ人大虐殺計画を食い止めるようと王に近づくために、王妃となるという「野望」を抱いていたのでも、父として彼女を育てたモルデカイにそのような考えがあったということではありません。あれよあれよ、という間に気がついてみたら自分がお妃候補の一人としている! というようにも考えられます。
 またモルデカイが、王の暗殺計画をエステルがモルデカイの名前で王に告げ、モルデカイの名前が記録されたのも、やがての時に備えてモルデカイの名前を記録しておくように画策したというわけでもありません。

 パズルが1ピースずつ組み合わされてやがて美しい「落ち穂拾い」の絵が完成するように、バラバラの出来事のピースが組み合わされていくのです。
 そして、それを備え、動かし、組み合わせておられるのが、エステル記では名前をお隠しになっている神であるというのです。サスペンスドラマを見ているような感がありますね。





後になってわかること

2012年05月14日 | エステル記
エステル記1章


 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。通っている教会では礼拝の後でお母さんたちにささやかな贈り物が届けられました。ナデシコの花でした。花の名前に全く疎い私も、今度のことでナデシコの花を覚えました。妻は白のナデシコをいただき、早速庭に植えていました。Photo


 「みことばの光」では、きょうからエステル記を読みます。
 「エステル記を読む前に」にありますように、エステル記には「神」ということばが出てきません。けれども、ご自分の計画を進められる神のお働きが、様々な人の出来事を通して進められていくのだ、ということがわかります。

 アハシュエロス王の軽率な振る舞い、王の願いを拒む王妃の態度、そして王に媚びる者たち、そのようにして一見何のかかわりもないというか、むしろ神の前に罪を重ねているかのような人々の振る舞いまでもが、後の大きな出来事のための準備になっているというのは、とても興味があります。

 初めて読むような気持ちで、この書を読み進めていきたいと思います。



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