エステル記5章
「何か大きな音がする」と隣で寝ている妻が…。何だろうと耳を澄ませば、雷の音でした。
昨日、「雷が怖い」という話をしたばかりなので、この時も怖かったかというと、眠気には勝てません。そのまま朝を迎えました。
起きた時には雨が降っていましたが、今は青空が広がっています。寝ている間にもいろいろなことが起こっているのですね。
きょうの箇所には、「神の時を待つ」というタイトルが「みことばの光」ではつけられています。
「さて、三日目に」と5章は始まります。三日間エステルも、そしてシュシャンに住むユダヤ人のすべても断食をして主に願い求めていました。すべては、この時のためだったのです。「この時」とは、エステルが意を決して王に願い求める時のことです。エステルが王宮の中庭に立つというのは、いのちがけの行動。しかし、彼女は主が自分を王のもとに遣わしておられるとの確信に立って、王に近づきました。
月に一度、何人かで「ローマ人への手紙」を読み進めています。昨日の会では、「神の恵みと信仰」ということで分かち合いをしました。神の恵みに寄って与えられた賜物、そこには神が人のために備えられた「時」も含まれます。
その賜物を、主に信頼して用いていくのが信仰者の歩みなどだということを改めて教えられたのです。
神の「時」の中に置かれているというのは、深い平安をおぼえることです。
「何か大きな音がする」と隣で寝ている妻が…。何だろうと耳を澄ませば、雷の音でした。
昨日、「雷が怖い」という話をしたばかりなので、この時も怖かったかというと、眠気には勝てません。そのまま朝を迎えました。
起きた時には雨が降っていましたが、今は青空が広がっています。寝ている間にもいろいろなことが起こっているのですね。
きょうの箇所には、「神の時を待つ」というタイトルが「みことばの光」ではつけられています。
「さて、三日目に」と5章は始まります。三日間エステルも、そしてシュシャンに住むユダヤ人のすべても断食をして主に願い求めていました。すべては、この時のためだったのです。「この時」とは、エステルが意を決して王に願い求める時のことです。エステルが王宮の中庭に立つというのは、いのちがけの行動。しかし、彼女は主が自分を王のもとに遣わしておられるとの確信に立って、王に近づきました。
月に一度、何人かで「ローマ人への手紙」を読み進めています。昨日の会では、「神の恵みと信仰」ということで分かち合いをしました。神の恵みに寄って与えられた賜物、そこには神が人のために備えられた「時」も含まれます。
その賜物を、主に信頼して用いていくのが信仰者の歩みなどだということを改めて教えられたのです。
神の「時」の中に置かれているというのは、深い平安をおぼえることです。