エステル記 7章
あるお宅を訪ねようと車を走らせていました。次の四つ角を右に曲がると2分ほどで着けるのですが、なんとそこは工事で右折禁止。やむなく直進してUターン。結局遠回りをしてしまいました。その日はいつも通り慣れている道も思わぬ渋滞。「なんてこった!」という気分でした。結局約束の時刻を過ぎての訪問となりました。
民族絶滅という危機がどんでん返しの結末になるために、エステルが、モルデカイが、王が…用いられたのはいうまでもありません。しかし、それらの人々を選び、ふさわしい時、あるべき場所に置いたのは、この出来事の真の主役である神です。
エステルが招待した一度目の宴会の時のハマンは、天にも上るような気分だったことでしょう。けれども、それからの彼は、坂道を転がるように気持ちが落ち込み、いや、「なんてこった!」と落ち込むばかりか、いのちまで取られてしまうのです。
「彼をそれにかけよ」という王のことばが心に留まります。ハマンはモルデカイをかけようとして作らせた、20メートルもの高い柱の上に自分がかけられいのちを落とすとは、夢にも思わなかったことでしょう。人の企ての頼りなさ、薄っぺらさのようなものを思わせることばに響きます。
それとともに、飛躍があるかもしれませんが、柱にかけられたハマンの姿は、罪を犯したすべての者の行く末を表しています。ハマンがかけられた柱のはるかかなたに主イエスがかけられた十字架が見えるように思えました。私がかけられるべき柱に、神の子がおかかりになったことを…。
よき週末、日曜日をお迎えください。