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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

王妃の覚悟

2022年05月11日 | エステル記

エステル記 4章

 昨日は神学校の授業の合間に持たれる礼拝に参加しました。礼拝後にいろいろな驚きが…。ずいぶん前にタイのバンコクで開催された集まりで同室だった方がその神学校の教師として教えておられました。その時はまだ大学生! 

 ある方は「子どもの頃、祖父のところで会いました」とあいさつされました。この4月に入学(入会)されたのだそうです。別の方は、「中学1年生のアウトキャンプで天狗岳に一緒に登りました」と声をかけてくださいました。歳を重ねたものです。

 ユダヤ人の虐殺計画は、エステルのおじのモルデカイにも大きな嘆きをもたらしました。しかし、王宮に妃として召されたエステルにはモルデカイの嘆きや悲しみの意味が分かりません。

 使いによってモルデカイから同胞の危機を知らされたエステルは、はじめは王への恐れから、自分が動くのをためらいます。しかしモルデカイは、エステルのことばに納得することなく、なぜエステルが王のそばにいるのかの意味を伝えたのです。

 目に留まるのは、15節以下のエステルの態度、行動です。彼女はすぐに動いたのです。同胞に三日間の断食を呼びかけたのは、自分は死ぬ覚悟で王の前に出るとの決意を固めたからです。「死ななければならないのでしたら、死にます」は彼女の覚悟の表れです。

 今日の「みことばの光」には、「自分に問われていることから目を背けて、日々を過ごしていないだろうか」とあります。重い問いかけのことばです。


恐ろしい企て

2022年05月10日 | エステル記

エステル記 3章

 昨日は「みことばの光」執筆者のための講習会をオンラインでしました。期待していた以上のことを学び、分かち合うことができたと思います。「オンライン同窓会」のようでもありました。

 本章では恐ろしいホロコースト計画がどのように企てられたのかが書かれています。きっかけは、エステルのおじモルデカイが王の次の位にあったハマンに膝をかがめなかったこと。

 王がこのような命令を出したというのは、見方によってはそんな命令を出さなければならないほど、ハマンに人望がなかったというように受け取ることもできます。

 さらに、はじめのうちハマンはモルデカイの行為をそれほど気に留めてはいなかったとも考えられます。家来の注進によって知ったと4節を読むと分かります。しかし、それが事実であるとハマンが確かめたことによって事態は深刻になります。

 気づかなかったことを指摘されるというのは、ハマンのプライドを損ねたのかもしれません。そこで、ハマン自らがモルデカイがそのようなことをしているのかどうかを確かめたのです。

 それにしても、ハマンにとって赦しがたいのはモルデカイ一人。それならモルデカイを痛い目に遭わせれば済むのに、彼は民族を無きものにしようと画策します。ハマンという人物の残忍さとか小ささとかを思わせる画策だと思います。

 今、世界を騒がせ、不安に陥れている出来事の当事者は、自分が行っていることの正当性を相手をナチス呼ばわりして訴えています。しかし、虐殺に大義名分はありません。恐ろしい企ては小さなプライドへの傷から始まるのです。恐ろしい…。


つながらないように見えても…

2022年05月09日 | エステル記

エステル記 2章

 昨日の子どもたちを中心とした礼拝で、「エステルはどのような人でしょうか?」と尋ねましたら、一人の女の子が「プリンセス!」と答えました。すると特に女の子たちが話に興味を持ったようなのです。  

 2章は、クセルクセス王の王妃を選ぶために、国中から「容姿の美しい未婚の娘たち」がスサの城の後宮に集められ、そこの中からユダヤ人エステルが王妃とされたということが記されています。

 王が、そして王の側近たちが定めた法令は、今ならば到底是認できないほどひどいものだということは、この章のあちらこちらの文章から伝わってきます。3節に「…未婚の娘たちを御な」ということばがあります。「みな」ということばが心に残りました。独裁者の力の暴力のようなものをこのことばは伝えています。

 さらに「化粧品を…与えるように」ということばにも引っかかりを覚えます。王の欲望を満たすためにこれらのことが、相手の気持など全く考慮しないままに進むのです。それは、「プリンセス!」というような夢とは全くかけ離れたものです。

 しかし、そうであっても神の計画は進みます。ユダヤ人のエステルが王妃として選ばれるのです。しかし、エステルは自分がなぜ王妃として選ばれたかについて、その本当の意味をこの時には知りません。

 この章の終わりには、王を暗殺しようとした二人の陰謀をエステルのおじのモルデカイが知り、エステルを通して王に告げたという出来事が書いてあります。このことも、やがて大きな意味を持つようになるのです。

 何気ない出来事、一見ばらばらのように思える事件があるときに一つに合わせられるというようなこと、そんなときに私たちは見えない神の御手のわざを覚えます。


プリム

2017年05月23日 | エステル記

エステル記9章20節ー10章3節

 お昼にお茶をしました。私が頼んだのは「生姜ティー」。さて、どんなものが来たでしょう。熱湯の中にたくさんの生姜が…。それに蜂蜜がついていて、好きなだけ蜂蜜を入れられるようになっていました。とても美味しくいただきました。でも…、これなら家でもできるではないか! と思ったのでした。

 9章24、25節はエステル記の要約のようなものです。結末まで読み進めますと、こんなことだったと納得ですが、この書を初めて読んだ人は、途中ハラハラドキドキしたのではないでしょうか。

 ユダヤ人はこの出来事を忘れることのないようにと、「プリム」という祝日を設けました。そして、28節に「この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないように」ということばのとおりに、「プリム」は現在に至るまで祝われています。太陽暦では春を前にした季節の祭りなので、大人も子どもも仮装をして祝うのだそうです。

 ちなみに、今年は3月12日がプリムの祭りの日。この日にはエステル記の朗読会も持たれるとのことです。朗読の中でハマンの名前が出てくると、机をどんどんと叩くのだそうです。

 心に留めたのは22節のことば。「自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日」とあります。キリスト者にとって「プリム」とは日曜日なのではないかと思うのです。そして、この日を喜びの日として、祝日としてうきうきと集って礼拝をする教会でありたいと願いつつ、今回のエステル記を読み終えることにします。


一変して

2017年05月22日 | エステル記

エステル記 9章1−19節

 抜けるような青空とぽっかりと浮かぶ白い雲の日曜日。礼拝でお借りしているドイツの方の教会では、駐車場でランチをしていました。このブログは当地時間で日曜日の夜7時ごろに書いています。まだまだ明るいので、アップしたら近くの公園を歩いて来ます。

 ユダヤ人が恐れていたアダルの月の13日が来ました。しかし、この間ユダヤ人絶滅を企てたハマンは死に、ユダヤ人モルデカイがハマンに代わって総理大臣となり、ユダヤ人にとっての「死の法令」を無効にする法令がモルデカイによって発布されて、状況は一変しました。おびえなければならないのはユダヤ人ではなくて、彼らの敵でした。

 きょうの箇所を読むと、ユダヤ人が多くの敵を殺したという記事に何となく割り切れない思いを持つ人もいるのではないかと思います。しかし、事はそんなに単純ではなさそうです。ハマンの死後も、シュシャン(スサ)にはユダヤ人を憎む者たちが数百人の単位でおり、さらに帝国全土では75,000人もいたことがわかります。ということは、ハマンは殺されましたが、ハマンの企てに加わった者が相当数いたということがわかるのです。それは、エステルが残忍とも見えるようなことを王に願っていることからもわかります。手綱を緩めないのです。

 イエスを信じる者には、目に見えない強大な敵がいます。少しでも隙を見せるとたちまちつぶしにかかってくるような相手です。ですから、この相手に対して私たちは手綱を緩めてはなりません。きょうの箇所からは、そのような促しを受けます。


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