ルカの福音書 19章41−48節
「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と書いてある。」19章46節
一日の課題をひとまず終えたので、郵便を出しに近くのポストに出かけました。南と北には黒雲があり、明らかに雨が降っている様子。できれば足を伸ばして…と考えていたのですが、郵便物をポストに入れた途端降ってきました。予報どおりです。
子ろばに乗り、オリーブ山の西麓斜面を歓呼で迎えられたイエスは、エルサレムに建てられているヘロデ大王の手による神殿を見て、エルサレムのために泣かれました。歓呼と泣き声とは対照的。イエスの涙は、もう間もなく崩れ去ろうとしているエルサレムのために流されたものです。
それはなぜか、「神の訪れの時を、おまえが知らなかったから」でした。イエスはこの都の主、まことの王として町に入ろうとしていますが、そこで待ち受けているのは拒絶と憎悪、そして死です。イエスが今、この都のはいろうとしているのは「神の訪れの時」なのですが、彼らはそれを知らない、いや、知ろうとしないのです。
宮に入ったイエスがしたのは、そこで商売している人々を追い出されたこと。ここには巡礼者礼拝者のためのいけにえが売られ、宮でしか通用しない通貨に両替するための商売人もいました。彼らの思いはお金のこと、商売のこと。おそらく、儲けになるために巡礼者をだますなどということも行われていたのです。「強盗の巣」とは厳しくも彼らの様子を言い当てたことばです。
宮で商売人は儲けを思った、しかしイエスは神を思われたのです。イエスがこの場所を「わたしの家」、そして「祈りの家」と読んでおられることに目を留めます。そして考えます。
自分が神を思う所とはどこなのだろうか…と。