ゼカリヤ書1章
イスタンブールに来ました。
一つの町がヨーロッパ側とアジア側とに分かれている、「文明の十字路」と言われる町です。
今回の旅では初めて明るいうちにホテルに着き、少しゆったりと時を過ごしました。
たくさんの人が橋の上から釣りをしているガラタ橋のたもとの桟橋から船に乗ってアジア側のハイダルパシャという鉄道駅まで行きました。写真はハイダルパシャ駅です。
刺すような寒さでしたが、船中に飲んだチャイはからだを温めてくれました。
「みことばの光」では、きょうからしばらくの間ゼカリヤ書を読みます。
「ゼカリヤ書を読む前に」をお読みになるのをお勧めします。
きょうの箇所では、「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る」ということばに目を留めました。バビロンの捕囚から民が戻って神殿が建て直されるということが、ゼカリヤ書の背景にあります。
「バビロン捕囚と帰還」について、教科書や歴史書には時の権力者の名が記され、その人物によって物事が大きく動いたと書かれます。しかし、主なる神が「帰る」とおっしゃったので、エルサレムに再び神の宮が建て直されるということを、「わたしは、…帰る」ということばは改めて教えています。
きょうも、私たちはどこかに行き、何かをしています。しかし、そこにはもう一つの見かたがあることを覚えたいのです。
良き週末をお過ごしになりますように。
イスタンブールに来ました。
一つの町がヨーロッパ側とアジア側とに分かれている、「文明の十字路」と言われる町です。
今回の旅では初めて明るいうちにホテルに着き、少しゆったりと時を過ごしました。
たくさんの人が橋の上から釣りをしているガラタ橋のたもとの桟橋から船に乗ってアジア側のハイダルパシャという鉄道駅まで行きました。写真はハイダルパシャ駅です。

刺すような寒さでしたが、船中に飲んだチャイはからだを温めてくれました。
「みことばの光」では、きょうからしばらくの間ゼカリヤ書を読みます。
「ゼカリヤ書を読む前に」をお読みになるのをお勧めします。
きょうの箇所では、「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る」ということばに目を留めました。バビロンの捕囚から民が戻って神殿が建て直されるということが、ゼカリヤ書の背景にあります。
「バビロン捕囚と帰還」について、教科書や歴史書には時の権力者の名が記され、その人物によって物事が大きく動いたと書かれます。しかし、主なる神が「帰る」とおっしゃったので、エルサレムに再び神の宮が建て直されるということを、「わたしは、…帰る」ということばは改めて教えています。
きょうも、私たちはどこかに行き、何かをしています。しかし、そこにはもう一つの見かたがあることを覚えたいのです。
良き週末をお過ごしになりますように。