ゼカリヤ書 10章
きのうはコートを脱いでの外出でした。陽射しもだいぶ長くなり、日の入りは午後6時43分。これから夏至まではどんどんと日の入りの時間が遅くなります。歩き回るのに良い季節になりました。
10章には、イスラエルの民を主が回復し強めるという主の約束が記されます。ここにはユダの名前ばかりでなく、「ヨセフの家」「エフライム」という名前もありますので、イスラエルの民全体が主によって強くされることが語られています。
この章のどこにメシヤを認めることができるでしょうか。4節の「この群れから…」ということばに目を留めましょう。「この群れ」とは前の節を読むと「ユダの家」のこと。ユダの家から、「かしら石」「鉄のくい」「いくさ弓」が出て来るというのです。「かしら石」とは、聖書辞典によると「建築の最後を飾って建物全体を一つに結び合わせる大切な石のこと」だとあります。神殿の建築中に一つの石が捨てられたという言い伝えがあり、それが新約聖書でキリストを指すとされました。
励ましを得たのは、「彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る」という12節のことばです。これは、メシヤによって回復されるイスラエルの民の様子を描くものですが、既にそれは、イエスをキリストと信じる者によって実現していると考えることができます。前にも書きましたが、この3月で二人の方が日本に帰国します。ドイツにある他の日本語教会でも同じようなことが今月に起こっています。寂しさを覚えながらも、帰国する人々が祖国で、そしてまた違う国で「主の名によって歩き回る」のだと思うならば、喜びが湧くのです。
3−4月は日本では移動の時期。主にある人々が12節の約束のごとくになるようにと祈ります。