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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

誠意と真心をもって

2018年07月26日 | 士師記

士師記 9章1−21節

 エバル山とゲリジム山との間に挟まれたシェケムは、旧約聖書では重要な場所の一つです。アブラハムがハランから旅をしてカナンの地に入って最初に祭壇を築いたのはここでした。創世記12章6節は「当時、その地にはカナン人がいた」と記します。また、ヨシュア記8章にはエバル山とゲリジム山との間の場所で神との契約の更新が行われ、全焼のいけにえと交わりのいけにえがささげられたとあります。さらに、ヨシュアがイスラエルの全部族を集めて最後の教えを与え契約を更新したのも、シェケムでした。⇒ヨシュア記24章

 こうまでもして権力を手に入れたいのか、というのがここを読んで思ったことです。アビメレクは父ギデオンとシェケムに住むそばめとの間の子。オフラにあった父の家に住む70人の兄弟たちとの間には、何らかの確執のようなものがあったのかもしれません。シェケムにはこの時、かなりの数のカナン人がイスラエルの民とともに住んでいました。アビメレクは、自分が勇士エルバアル(ギデオン)の子どもであるということを武器に、カナン人たちの思いをすくい上げようとします。そして、事実でないことをねつ造して人々を不安に陥れ、シェケムの人々に身内だと思わせるようにするアビメレクの知恵は悪らつです。

 一方で一人生き残ったヨアシュは、ゲリジム山の上から寓話を用いてシェケムの人々がアビメレクを王にしたことを非難します。「誠意と真心をもって行動して」というヨアシュのことばを心に留めました。安っぽい身内意識をくすぐられて、なるべきでないものを王として祭り上げた彼らの行動を「誠意と真心をもって」したのかと、問うのです。

 イエス・キリストをお遣わしになって救ってくださった神に、自分は「誠意と真心をもって行動しているか」と、問いかけてきます。


落とし穴

2018年07月25日 | 士師記

士師記 8章18-35節

 当地も昨日はついに33度を記録しました。室温は33度、湿度が低いので何とか扇風機でしのげますが、水分補給が欠かせません。

 ミディアン人の残党をも破ったギデオンは、自分たちを治めてほしいとの願いに、「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます」と断ります。立派なことばです。けれども、「みことばの光」には「この時、ギデオンは主に伺うことをしなかった」とあります。

 政治的な権力を持つことには執着しなかったギデオンですが、その後の行動から何に執着していたのかを垣間見ることができます。一つに彼は、キラキラしている物を欲しがっていたのではないかと考えます。イシュマエル人が身につけていた金の耳輪は、今の重さにすると19キロ以上。相当な金の量です。その他にも、装飾品を手に入れるのです。

 また彼は、祭司職へのあこがれのようなものがあったのではないでしょうか。ギデオンが金をはじめとする装飾品で作ったエポデは大祭司がまとうものです。なぜ彼は、これを作ったのでしょうか。大祭司が行うことを彼がやってみたとも考えられます。金に輝くこのエポデを慕って、人々は淫行を行うことになります。

 さらに彼には多くの妻がいました。またそばめとの間にも子どもを設けます。これが次章に記される悲惨な出来事の引き金にもなるのです。

 完全無欠な人などいないこと、成功したものに待ち構えるわな、執着……、勇士ギデオンのその後は、だれもが経験する誘惑であり、出来事なのではないでしょうか。


遂行のため

2018年07月24日 | 士師記

士師記 8章1−17節

 お隣の家の庭には、たくさんのホオズキが橙色の実を…。日本のホオズキ市を思い出させてくれます。調べてみると、実が赤くふっくらしている様子が頬(ほお〜ほっぺた)を連想させるからとありました。

 ギデオンの頬もこの時、逃げるミディアン人を追撃する意気に燃えていたのではないでしょうか。地図で確認すると、ギデオンたちはヨルダン川東側のかなり遠くまでミディアンの残党(といっても、なお15,000人もいたのです)を追って行ったことがわかります。

 そのような時、追撃を妨げることが同胞の中から起こりました。一つはエフライムによる激しい抗議です。なぜ自分たちにも呼びかけなかったのかというものでした。彼らは声をかけてもらえなかったので自尊心を傷つけられたのです。ギデオンは柔らかなことばで彼らの怒りを静めます。

 もう一つは追撃の途中、ダンの相続地の中にあるスコテとペヌエルの人々の拒絶です。ギデオンたちは言ってみたら少人数の農民軍のようなもの。スコテの首長たちはこんなギデオンたちがミディアン人に勝てるはずがないとみていたのでしょう。そして、自分たちがギデオンに食料を提供したことがミディアン人に知られたら、報復されることを恐れたのかもしれません。ペヌエルの人々も同じだったでしょう。

 ギデオンは、同胞のふがいなさ、非協力に対して激しく怒り、報復を語ります。そして、言ったとおりに実行するのです。

 確かに、この箇所でのギデオンの言動には荒っぽいなと思うような面があります。一方で、目的遂行のためにまっしぐらに進む者のひたむきさと取ることもできるのでは…とも考えさせられます。


まだ多すぎる

2018年07月23日 | 士師記

士師記 7章

 住まいの上空は空港から北に向かう飛行機の経路になっていて、風向きによって頻繁に旅客機が飛んで行きます。世界中を飛ぶ商業航空機の位置やルートを知らせるアプリで確かめると、ちょうどこれを書いている時にラトビアのリガに向かう便が頭上を通過しました。

 この章で描かれている、ギデオン率いるイスラエルとミディアン人たちとの攻防の様子について、それぞれの位置関係や追撃のルートを調べてみると、さらに聖書が身近になることでしょう。

 主の霊におおわれたギデオンが角笛を鳴らすと、ギデオンが属する氏族、マナセ部族、さらには、カナン北方に相続地を割り当てられたアシェル、ゼブルン、そしてナフタリから32,000人もの人々がハロデの泉に集結しました。ここはギルボア山の北のふもとにあります。

 一方、ミディアン人、アマレク人、東方の人々は合わせて135,000人であり、12節には「いなごのように大勢、平地にひれ伏していて、彼らが乗るらくだは、海辺の砂のように多くて数え切れなかったとあります。」

 数の面では圧倒的に劣勢なのに、主はギデオンに兵を削減するようにと命じるのです。理由は、「自分の手で自分を救った」と言って主に向かって誇ってはいけないから、です。そして、ギデオン側の兵は300人にまで削減されてしまいます。しかし、彼らは敵に大きな損害を与え、追い散らします。

 政治、経済、軍事、スポーツ…数が多いほうが良いと考えられています。ここには、そのような常識を全く覆すような道が示されているのです。いつの間にかそんな「常識」に呑み込まれてはいないだろうかと、問われます。


あなたのその力で

2018年07月21日 | 士師記

士師記 6章1−18節

 士師記に登場する士師たちのうち、ギデオンとサムソンについては多くのスペースを割いています。「士師と言ったら…?」と尋ねられて、「ギデオン」「サムソン」と答える方は少なくないと思います。

 ギデオンが士師として立とうとするきっかけは、ミディアン人がイスラエルの相続地を縦横に走り回って収穫物などを略奪したからです。ここにも士師記に見られるイスラエルの民の背信⇒神のさばき⇒イスラエルの叫び⇒さばきつかさによる救いとの繰り返しが見られます。

 ミディアン人はアカバ湾の最北端のエドムの南部にいて、ユダ南部を占領したアマレク人と砂漠の遊牧民である「東の人々」とともに、イスラエルを駆け抜け,いなごのように地の産物を食い荒らしていました。彼らはらくだに乗って押し寄せてきたと言われています。そのためにイスラエルは、山地に追いやられてひもじい生活を強いられていたのです。

 そして、彼らを救うために主が遣わされたのはギデオンでした。けれども、彼は弱く力のない人物。ミディアン人を恐れて隠れて小麦を打つほどです。そのギデオンに主の使いは「力ある勇士よ」と声をおかけになるのです。皮肉とも取れるような一言です。

 その後に、ギデオンと主の使い(主)との対話が続くのですが、その対話はあまりかみ合っていないように見えます。ギデオンの嘆きや問いかけに主は答えずに、「あなたを遣わす」と繰り返すのですから…。けれども、対話の中でギデオンの心は変えられていくのです。

 神と語り合う,神のことばを聴き神に祈るということが、弱さや小ささに嘆く者に力となるのだということをここから教えられます。「力ある勇士よ」という呼びかけは預言でもあるのです。


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