士師記21章
士師記で誓いといえば、エフタを思い出します(11章)。そして、愚かな誓いが当事者ばかりではく多くの人々を巻き込んでいくことを、最後の章でも描きます。
ベニヤミン族は壊滅的な打撃を受けました。生き残りは男子600名。このままでは12部族の一つが欠けてしまうことにイスラエルは気づき、声をあげて激しく泣きます。何とかしなければとの危機感が彼らを動かしますが、自分たちは娘をベニヤミンに嫁がせないと誓っています。
彼らの解決策は、自分たちの誓いを破らずに、自分たちが傷みを負うことなしに、ベニヤミン部族600人に妻をあてがい、部族の存続をはかろうとするものでした。それがさらなる犠牲者を、悲しみに暮れる者を生むなどということはお構いなし。
士師記は「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」で閉じます。考えてみると、「自分の目に正しいと見えることを行う」のは多くの人が当たり前のように受け入れている価値観ではないでしょうか。また、「王などいらない」(神などいらない)というのも、近代社会のスローガンのようでもありました。
士師記は今から3,000年以上も前のごく小さな地域での出来事を記します。王(神)を持たず、自分の目に正しいと見えることを行うとどうなるのかを、明示しています。
混乱、腐敗、そして罪に罪を重ねる世の中が、そこに描かれていました。
今を映しているのです。
士師記で誓いといえば、エフタを思い出します(11章)。そして、愚かな誓いが当事者ばかりではく多くの人々を巻き込んでいくことを、最後の章でも描きます。
ベニヤミン族は壊滅的な打撃を受けました。生き残りは男子600名。このままでは12部族の一つが欠けてしまうことにイスラエルは気づき、声をあげて激しく泣きます。何とかしなければとの危機感が彼らを動かしますが、自分たちは娘をベニヤミンに嫁がせないと誓っています。
彼らの解決策は、自分たちの誓いを破らずに、自分たちが傷みを負うことなしに、ベニヤミン部族600人に妻をあてがい、部族の存続をはかろうとするものでした。それがさらなる犠牲者を、悲しみに暮れる者を生むなどということはお構いなし。
士師記は「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」で閉じます。考えてみると、「自分の目に正しいと見えることを行う」のは多くの人が当たり前のように受け入れている価値観ではないでしょうか。また、「王などいらない」(神などいらない)というのも、近代社会のスローガンのようでもありました。
士師記は今から3,000年以上も前のごく小さな地域での出来事を記します。王(神)を持たず、自分の目に正しいと見えることを行うとどうなるのかを、明示しています。
混乱、腐敗、そして罪に罪を重ねる世の中が、そこに描かれていました。
今を映しているのです。