士師記17章
士師記のテーマを示す「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」ということばが、この章にも見られます。
それはひどいものです。
自分の母親から銀を盗んだ息子。盗んだ息子を、おそらく「私が盗んだ」と正直に言ったからか、あるいは無事に自分の手元に戻ってきたからか、母親は「主が私の息子を祝福されますように」と言います。
母親は息子から返してもらった銀で像を造り、息子ミカは、自分のための神の宮を持ち、自らが祭司となっていました。何か物足りないと思っていたのでしょうか。そんなときに、レビ人の若者が家に飛び込んできたのです。渡りに舟とばかり、ミカは若者を祭司に任命します。
気になるのは、母親もミカも主が祝福されるようにとか、主が私を幸せにしてくださるとか言っていることです。自分にとって都合の良いことが起こったら主の祝福だと捉え、都合の良いことが起こるようにと願う…、これこそ「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行」うということです。
きょうのブログタイトルに、多くの人は違和感を感じないかもしれません。だって、自分が正しいと思うことを貫くのが自立した人間だという考えが多数を占めるからです。けれども、人間の自立とは「王を持つ」ことから来るのではないかといつも思うのです。矛盾するようなことですが…。その「王」とはもちろん私たちと同じ人間ではありません。
神を王としてあがめ、聴き、従うことこそ、人がそれにふさわしく歩む、自立した道なのではないでしょうか。
士師記のテーマを示す「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」ということばが、この章にも見られます。
それはひどいものです。
自分の母親から銀を盗んだ息子。盗んだ息子を、おそらく「私が盗んだ」と正直に言ったからか、あるいは無事に自分の手元に戻ってきたからか、母親は「主が私の息子を祝福されますように」と言います。
母親は息子から返してもらった銀で像を造り、息子ミカは、自分のための神の宮を持ち、自らが祭司となっていました。何か物足りないと思っていたのでしょうか。そんなときに、レビ人の若者が家に飛び込んできたのです。渡りに舟とばかり、ミカは若者を祭司に任命します。
気になるのは、母親もミカも主が祝福されるようにとか、主が私を幸せにしてくださるとか言っていることです。自分にとって都合の良いことが起こったら主の祝福だと捉え、都合の良いことが起こるようにと願う…、これこそ「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行」うということです。
きょうのブログタイトルに、多くの人は違和感を感じないかもしれません。だって、自分が正しいと思うことを貫くのが自立した人間だという考えが多数を占めるからです。けれども、人間の自立とは「王を持つ」ことから来るのではないかといつも思うのです。矛盾するようなことですが…。その「王」とはもちろん私たちと同じ人間ではありません。
神を王としてあがめ、聴き、従うことこそ、人がそれにふさわしく歩む、自立した道なのではないでしょうか。