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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

「いろは歌」で括る

2018年12月19日 | 箴言

箴言 31章

 昨日は、隣町の店に行きましたが閉店。ガラス戸をよく見るとこのお店、日月火は休業日なのでした。確かめない自分がいけなかったのですが、気を取り直してクリスマスのイルミネーションの美しい街歩きをし。美味しいケーキとコーヒーで体が温まりました。

 箴言は本日が終章。王が母から受けた戒めのことば、とあります。1−9節には「王の心得」という見出しをつけることができます。2節の「私の子よ、…私の胎の子よ、私の誓願の子よ…」という繰り返しからは、王であるわが子を愛する母親の思いが伝わってきます。しかもそれは、ただ母親として心配しているというだけでなく、生まれた時にわが子を神に献げたという母親の信仰が伝わってきます。

 内容は、女性と酒と政治のこと。どれも王として備えなければならない大切な心得であり、どれほど多くの王がこのことで失敗してきただろうかと、読む者に思わせる納得の内容です。けれどもそれは、王に限らずすべての人が心すべき戒めなのだと気づきます。

 10節から31節までには、「賢い妻を持つ者の幸い」という題がつくでしょうか。イスラエルの男性は妻にここのことばを読むのだと伺ったことがあります。そしてこの部分はいわゆる「いろは歌」の形式になっていて、それぞれの節の初めのことばがヘブル語のアルファベット順になっているという、技巧と遊び心のある歌だと言われています。妻はこれを読む夫のことばをどのような思いで、どのような表情で聞いたのだろうか、聞くのだろうかと想像が膨らみます。

 想像を膨らませるだけでなく、自分も…と。


精錬されたことばにすがって

2018年12月18日 | 箴言

箴言 30章

 わが家を訪ねてくださったご家族と、近くの川にヌートリアを見に行きました。けれども、昨日は姿を見せずに空振りに。調べてみますと、日本ではかつて軍隊の防寒用の飛行服の裏地として輸入され飼育されていたのが、需要がなくなったために放逐されて野生化し、今では侵略的外来種として駆除すべき動物となっているのだそうです。軍隊での需要もあって、「勝利」にかけて日本名は「沼狸」(しょうり)と呼ばれていたというのです。人間に振り回された動物の一つなのですね。

 本章では、二つのことばを心に留めました。

 まず、「あなたは確かに知っている」という4節のことばです。「みことばの光」が書くように、ヨブ記の結末部にある神からヨブへの問いかけのことばを思い起こさせます。4節の「だれが…」と繰り返される問いかけに、「私だ!」と答えるでしょうか。。知識を増し加え、力を蓄えた人間は、蛭(ひる)のように貪欲になります。けれども、どんなに背伸びをしてもここで「あなた」と呼ぶ神と並び、神を超えることはできません。

 「できません。」そして神に、「あなたは確かに知っている」と告白することのできる姿勢を持ち続けたいと願うのです。

 次に5−6節。ここには神のことばが完全だとあります。「すべて精錬されている」ということばに改めて驚きを覚えました。だからこそ、ご自分に身を避ける者の盾として完全であり、だからこそ付け足しをしてはならないのです。

 神についての、この事実の上に、アグルの素晴しい祈りがささげられているようにと、読みました。偽りのことばを遠ざけ、高慢の罪から自分を守ることができるようにとの祈りを、アグルとともにささげたいです。


治める者を治める

2018年12月17日 | 箴言

箴言 29章

 日曜日の朝は雪景色でした。この日はクリスマスの感謝礼拝とお祝いの会。お祝いの会の始めに、子どもたちによる「聖誕劇」をみんなで見ました。クリスマスに参加する子どもたちに予め台本を送り、覚えてきてもらって、初めてみんなで練習をし、本番に臨みました。「転(こ)けるか?」の心配をよそに、一人一人が良い味を出して素晴しい劇になりました。指導する人が大切! と納得です。

 箴言29章前半は王についての格言集と見ることができます。「正しい人が増えると、民はよろこび、悪しき者が治めると、民はうめく」と2節にありますが、二行一まとまりとして味わうと、「正しい人」というのは、民を治める人、すなわち王であり、指導者であることがわかります。7節には、「正しい人は弱い者のためにさばきを知っている」ともあります。弱い者を踏みにじるような王であったとしたら、民はたまったものではありません。

 26節の「支配者の顔色をうかがうものは多い。しかし、人をさばくのは主である」とは、王である者、人の上に立つ者こそが覚えておくべき大切な格言、心得です。

 ここを読みつつ、日曜日の通読箇所、イザヤ書9章6、7節にあるひとりのみどりごに冠せられる名を思い起こします。

「その名は、『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」

 このお方こそ私の王であり真の支配者だとすることこそ、権威を持つ者が何よりも心すべきこと。これを忘れると、民を苦しめる暴君に堕するのです。


富、貧しさ、誠実

2018年12月15日 | 箴言

箴言 28章

 木曜日のことでしたが、いつも行くスーパーの店先でとても嬉しいことがありました。詳しく書くことができませんが、1.5ユーロでこんなにも嬉しいことがあるのだと、心が温かくなりました。それとともに、神さまがご自分の御子を私たちのこの世界に贈ってくださったということの大きさをも思ったことです。

 本章から、三つのことばをキーワードとして並べ替えてみたら次のようになりました。ここから何を思うでしょうか。

・貧しい者
 弱い物を虐げる貧しい者は、押し流して食物を残さない豪雨のようだ。(3)
 貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。(6)
 利息や高利によって財産を殖やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える。(8)
 富む者には自分が知恵のある者に見える。しかし、分別のある貧しい者は、彼を調べる。(11)
 貧しい民を治める悪しき支配者は、うなる雄獅子、襲いかかる熊のようだ。(15)
 貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。(27) 

・富について
 貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。(6)
 利息や高利によって財産を殖やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える。(8)
 富む者には自分が知恵のある者に見える。しかし、分別のある貧しい者は、彼を調べる。(11)
 正しい者が喜ぶと、大いなる栄があり、悪しき者が立ち上がると、人は身を潜める。(12)
 英知を欠く君主は、多くの物を強奪する。不正な利得を憎む者は、齢を延ばす。(16)
 自分の土地を耕す者は食糧に満ち足り、空しいものを追い求める者は貧しさに満ち足りる。(19)
 忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。(20)
 人を偏り見るのは良くない。人は一切れのパンで背く。(21)
 貪欲な者は財産を得ようと焦り、欠乏が自分に来るのを知らない。(22)
 父母のものをかすめていながら、「背いていない」という者は、滅びをもたらす者の仲間。(24)
 欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、主に拠り頼む者は豊かにされる。(25)
 貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くののろいを受ける。(27) 

・誠実、忠実
 貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。(6)
 直ぐな人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。しかし、誠実な人たちは幸せを受け継ぐ。(10)
 誠実に歩む者は救われ、その道が曲がっている者はただちに倒れる。(18)
 忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。(20)

 素晴しい週末と日曜日をお迎えになりますように。


明日のことを誇るな

2018年12月14日 | 箴言

箴言 27章

 日本には寒気が訪れていると報じられていますが、当地にもようやく深々とした寒さがやって来ました。クリスマスを前に、何となく道路の交通量も増えているように思えるこの頃です。

 箴言には、人間関係についての格言が多くありますが、本章には特に多いように思えました。

 「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するよりも良い」と5節にありますが、どちらかというと、自分は反対を行ってきたのではないかと顧みて思います。言わなければならないことを、相手のことを慮(おもんぱか)って言わずに済まそうという思いが時々湧いてきます。続く6節からは、表向きのふるまいだけで「あの人は良い人だ」「この人は悪い人だ」と判断するのが早計だということに気づかされます。

 「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」と17節にあります。ここからも、表向きの関係ではない、真実の、時には厳しい助言を得たり、互いの意見を率直に述べ合うことのできる関係を持てているのだろうか、そのような友を持っているだろうか、そのような友であるかなど、立ち止ってよく考えるきっかけを本章の一つひとつのことばから得たように思えます。

 きょうという一日の途中に何が起こるのかはわかりません。だからこそ、すべてを治めておられる神のことばを聞くのですね。


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