箴言 4章
昨日は「栗ご飯」を食べた話をしましたが、一緒に「おでん」もいただきました。圧力鍋で柔らかくなるまで煮込んだ牛すじ肉を加えたものです。でも、おでんでいちばん美味しいのは大根。その次はゆで卵、そして……。ここまでにしておきましょう。
4章には「知恵の価値」が強調されているように読みました。1章8節から「わが子よ」という呼びかけのことばから始まる「わが子への教え」は、知恵を得よということです。しかし、ここで何度も書いてきたように、それは世渡り上手の知恵とか、人々に称賛されるような知識や英知を指しているのではありません。
父がわが子を訓戒するものは、神の戒めに基づいた教えであり、それに基づいた知恵です。主を恐れることが根底にあります。3−4節を読むと、この教えは、父の父、そのまた父からと代々受け継がれてきたものです。何世代もの間、時代の荒波に揺さぶられながらもその意味を失うことなくあり続けた知恵なのです。
7節の「知恵の初めに、知恵を買え」ということばに目が留まります。何よりもどれよりもこの知恵は「買い」なのだと言うのです。その前の5節には「知恵を得よ」、6節には「知恵を捨てるな」とあります。何を犠牲にしてもこの知恵は買いなのだ、買ったら決して手放すなとの強い促しをここから覚えます。キリスト者がキリストから決して離れないということに通じることです。
10節以降では、正しい者の道と悪しき者の道とが示されます。もちろんわが子が歩むべきは正しい者の道。それを選ぶためにも「知恵の初めに知恵を得る」のです。