箴言 14章1−19節
クリスマスに発表する子どもたちの朗読劇の初めての合同練習がありました。朗読する子どもたちも、演奏する子どもたちも緊張しつつ一生懸命取り組んでいました。12月17日の「本番」がとても楽しみです。
日曜日の礼拝で、箴言は「遅読」するべきとのことばを引用しましたが、確かに、サーッと急ぎ足で読んでしまうなら気づかない味わいを、2行一組の格言たちは提供しています。
10節に「心はその人自身の辛さを知っている。その喜びにはほかの者はあずかれない」とあります。「その人」と「ほかの者」、「辛さ」と「喜び」が、そして「知っている」と「あずかれない」とが対比されています。
最初の行から思い浮かべるのは孤独です。どんなに近い関係にあっても、誰かの辛さをすべて分かっているということはありません。いや、もしかしたらその人自身も辛さのわけが分からないのかもしれません。2行目からは喜びが伝わってくるのですが、そこにも孤独が影を映します。しかし、ここでの孤独は決して悪いものではないと、私は思います。なぜなら人は、そのような中で神を求めるからです。
金曜日にオンラインで聖書を読みました。そこで開いたのは詩篇139篇の初めの部分。そこでは神が私のすべてを知っていると繰り返されています。「主よ あなたは私を探り 知っておられます」は思いつきからの慰めの言葉ではありません。事実なのです。しかも神は、「御手を私の上に置かれた」のです。それは保護を、完全な守りを表しています。
自分で自分の辛さの理由が分からなくても、神はすべて分かっている……。神を恐れる者の望みがここにあると思うのです。