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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

名声は……

2023年12月09日 | 箴言

箴言 22章

 月に一度の聖書の会。アドヴェントにちなんだ聖書を一緒に読んだ後はお昼。昨日は手づくりの肉まんでした。ひき肉がたっぷり詰まっていて、ボリュームがあり美味しくいただきました。寒い時にホカホカの肉まんはいいですね。

 箴言を読み進めてくると、「あのことばはここにあった!」という再会の喜びもあります。22章ならば、6節の「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、そこから離れない」や、15節の「愚かさは子供の心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける」です。特に、子どもを育てている頃、いわゆる「教会教育」のために時間を割いていた頃には、これらのことばをいつも心に留めていたように思います。

 この章から「名誉」ということばを思いました。1節に「名声」「愛顧」、4節に「誉れ」、9節に「祝福」、11節に「王がその友になる」、29節に「王の前に立つ」とあります。それらを得るためには何が必要なのかをも挙げてみると次のようになります。へりくだること、主を恐れること、善意、心のきよさを愛し、やさしく話をする、仕事に熟練すること…です。

 これらを読んで考えるのは、名誉を得るために何かをするのではなくて、何事かをし続けていくことの結果が名誉を得ることに通じるということ。そして、そのもっとも基本として「主を恐れる」ということがあると考えます。人の目を意識して何かをするのではなくて、すべてをご覧になっている見えない神をおそれて物事を考え、行動をするということが大切だということが、ここから伝わってきます。


まっすぐな道

2023年12月08日 | 箴言

箴言 21章

 久しぶりに隣町の食材店に…。おでんの材料やお米、……を購入できました。店主の方が行っている教会では、23日(土)にクリスマスのコンサートがあるとのこと。私たちも楽しみにしています。

 21章で目に留まるのは「道」ということでした。1節には「水の流れ」「向き」、2節では「まっすぐ」ということば、8節に「ねじれている」「真っ直ぐ」、さらに16節に「迷い出る」、そして29節には「道をわきまえる」とあります。

 王は大きな権力を持つ存在ですが、1節によれば、王よりもはるかに偉大な主がおられることがわかります。箴言に限らず聖書は、あるべき王とは、自分がいちばん偉いと思うことなく、神を恐れる知恵を持つ者だと伝えています。「主はみこころのままに、その向きを変えられる」とあります。

 自分がまっすぐだと思っている道も、じつはそうではないのだということを2節は伝えています。思いどおりにならないときに、向きを変えられる主の前にへりくだること、降参することができるのが、真に偉大な者だということに気づきます。

 「罪人の道はねじれている」のです。しかし、それがねじれていることがわからないのが罪人の問題なのです。今はスマホの中に地図があり、GPSが内蔵されていますので、道に迷うということは少なくなったと思います。古(いにしえ)の人は、迷い出たとき夜空に光る星によって自分の位置や方角を確かめたと言われます。


愚か者!

2023年12月07日 | 箴言

箴言 20章

 聖書同盟から出ている「日ごとに」という聖句集の改訂版(新しい翻訳聖書に基づいたもの)を、合間を縫って制作しています。これまでの項目別の索引に加えて、聖書箇所別の索引も作成しているのですが、分量が多くて本に収まらないかもしれません。QRコードから索引を開くということになるでしょうか。

 箴言20章には、「計画」が2回出てきます。5節の「人の心にある計画は深い水。英知のある人はこれをくみ出す」、そして18節の「協議によって計画は確かなものとなる。すぐれた指揮の下で戦いを交えよ」です。二つとも、周到な計画をすることの大切さを伝えています。

 一方で、4節の「怠け者は冬に耕さない。刈り入れ時に求めても、何もない」、21節の「初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない」とは、その場しのぎの歩みを警告する格言です。

 けれども、計画を立てればよいということでもありません。「人の歩みは主によって定められる」からです。自分では「完璧!」と満足できるような計画を立てたとしても、前提に神を恐れることがなければ、空しいのです。

 主イエスが話された「愚かな金持ちの農夫」のたとえを思いました。ルカの福音書12章13−21節にあるこのたとえば、豊作に恵まれた農夫が収穫物を蓄えておくために、さらに大きな倉を建て、これから先何年も楽しめると喜んだのも束の間。神がいのちを取り去られると彼に言われたというものです。神は彼を「愚か者」と言われました。

 彼の何が愚かなのでしょうか。豊作のためには、冬に耕したことでしょう。収穫物を無駄にしないためにより多くの倉を建てました。しかし、彼はそれらを与えられた神を生活の外に追いやっていたのです。


主に貸す

2023年12月06日 | 箴言

箴言 19章

 念願かなって、ラックレール式鉄道(ドイツ語でZahnradbahnと言います)に乗ることができました。基本的に鉄道は急坂を上り下りすることが苦手なのですが、その弱点を補うために、レールの間にあるもう一本の軌道を敷設しています。これがラックレール。 電車側にある歯車と噛み合って急坂に挑戦できるようになります。乗り心地も良かったです。このラックレール鉄道では、1000メートル進む間に95メートル上る、というのが全区間の勾配。驚くような高低差です。

 19章では、富に関係のある格言が目に留まります。1節の「貧しくても誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる」と、4節の「財産は多くの友を増し加え、貧しい者はその友からも引き離される」また7節の「貧しい者は自分のすべての兄弟たちに憎まれる。友人が彼から遠く離れるのは、なおさらのこと」の違いを、どのように受け止めればよいのかと迷います。4節や7節は揺るがない真理ということよりも、この世の一般的な考え方を述べているのだと思います。

 4節は、イエによる放蕩息子の話を思わせます。富に群がる友は富を手放すと同時に散ってしまうのです。貧しさゆえに兄弟たちから憎まれ蔑まれ、友が離れてしまうという現実は、確かにあるかもしれません。しかし、そんな時、神は孤独な者とともにおられるということも、忘れてはならない事実です。

 17節を心に留めました。「主に貸す」ということがあるのだろうか…と。見返りを期待しないで良きことをすることの大切さが、このことばから伝わってきます。


一匹狼?

2023年12月05日 | 箴言

箴言 18章

 月曜日は昼過ぎから雪。天窓を開けるとトーヒーの木が美しく装っています。

 18章は否定的な格言が多いように思われます。知恵を働かせるよりは、自分の欲望をさらけ出して何かをすることの愚かさや空しさを描くいくつかのことばが目に留まります。

 1節の「自らを閉ざす者」は、直訳では「自分を人から分離させる者」と聖書の脚注にあります。ですから、他の日本語訳聖書は「離反する者」と訳し、ある英語聖書は「自分のことしか考えない一匹狼」という意味を伝えています。この場合、なぜ「自らを閉ざすのか」「一匹狼」かを考える必要があると思います。他の人の知恵のことばや助言に耳を傾けようとしない、聞きたくないのです。2節に「愚か者は英知を喜ばず……」ともあります。

 人は孤独になる時が必要ですが、それは人との「健康な交わり」のためです。「あの人のここが気に入らない」「嫌なことを言われた」……、心を閉ざすきっかけとなるさまざまな出来事の中でも誰かとの道を遮断しないというのは、大切な知恵。そのためにまず、一人神の前に出てみことばに耳を傾け、祈ります。

 17節にも目が留まります。「最初に言ったもん勝ち」ということばがありますが、人の欠点や問題を暴くようなときにはこんなことがよくあります。しかし、よく調べてみたら実際はそうではなかったという場合も少なくありません。現代は山のようなことばが行き来しています。本人も驚くような話が行き巡っているなどということもあります。一見正しく見えることば……。注意が必要ですね。


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