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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

人の目には

2018年11月02日 | 箴言

箴言 14章1−19節

 久しぶりの太陽なので、いつもの公園を歩きました。剪定(せんてい)の時なのでしょうか、たくさんの枝が切り落とされています。普段見慣れたものとは違った景色が広がっていました。そしてパラパラ雨の後には虹が出ていました。お得なウォーキング!

 この箇所には、知恵と愚かということばが並びます。二つの違った結果が知恵と愚かさとを見分けられるともいうことができます。

 私たちはしばしば、選択を迫られます。うどんを食べるかそばにするか、寿司かとんかつか、寿司ならば松か梅か…などという具合にです。食べ物の場合は、「選ぶのを間違えたので、次は別のものを…」というちょっとした後悔で済みますが、いのちか死かというような重い選択をしなければならない場合もあります。

 どちらかを選ばなければならないとき、その先に何が待ち構えているのかをある程度は予測することができますが、完全に予知することはできません。12節に「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」とあるように、判断を誤ると死に至るということも起こりえます。

 16節後半に「賢い人は自分の歩みを見極める」とあります。どのようにして…。ここで箴言の主題が頭に浮かびます。「主を恐れることは知恵の初めである。」自分の歩みを見極めることができるのは、人のすべてを知る神お一人。ですから、このお方との不断のつながりが自分の歩みを見極めることへと通じるのだと…。


神のことばを聴く

2018年11月01日 | 箴言

箴言 13章

 水曜日の朝、天窓のガラスの夜露が凍っていました。わが家の初氷。おつき合いしてきた方が亡くなられたとの知らせが遠くから届きました。ポストには長い間勤めた職場を退職した方からの葉書が入っていました。受け入れなければならない変化があるのす。

 「みことばの光」は箴言に戻りました。13章から読み続けていきます。ソロモンの箴言には、ここにあるように、ことばや知恵、そして富についての格言がたくさんちりばめられています。ソロモンは神から知恵を賜わった王ですが、莫大な富をも自分の手にすることができました。そのようなことを考えながら、一言ずつを読みました。

 きょうの「みことばの光」は、この章の中から特にことばの問題に焦点を絞っています。確かに、ここにはことばについてのことばが連ねられます。関係することばを拾ってみましょう。訓戒、嘲る、叱責、口の実、口を見張る、唇を大きく開く、偽りのことばを憎む、みことばを蔑む、命令を尊ぶ、知恵のある者のおしえ、です。ことばに耳を傾けることや、語ることばに注意を払うことの大切さが伝わってきます。

 けれどもこれらは、単なることばを上手に操るというテクニックではなくて、「主を恐れることは知恵の初め」という箴言の主題に基づいて耳を、口を用いるということなのだということに気づきます。「みことばを蔑む者は身を滅ぼし」とあります。ことばとしてこの世界においでになったイエス・キリストとのつながりが、私たちのことばを左右するのです。

 


…すぎることなく

2018年10月17日 | 箴言

箴言 12章

 久しぶりにいつもの公園を通り抜けて、1万歩コースを歩いて来ました。途中の楽しみはアイスクリーム。歩いて消費した分をここで台無しに…という不安もあるのですが、食べた後はしっかりと手を振って歩こうと決めて、いただきました。

 12章を読んで考えたのは、「…すぎることなく」ということでした。1節の「訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者は間抜け者」ということばについて考えてみました。人から自分のことで何かを言われるのは嬉しいことではありません。場合によっては耳を塞いでしまうかもしれませんし、そのような人を避けるようなことになるかもしれません。けれども、自分を主張しすぎることなく、自分の考えに固執しすぎることなく…するというのは大切なこと。 

 4節には「しっかりした妻は夫の冠」とあります。19章14節には「家と財産は先祖から受け継ぐもの。賢明な妻は主からのもの」とあり、うーむとうなずかされます。さらに箴言には31章10節以降に「しっかりした妻を誰が見つけられるだろう」で始まる、妻への礼賛のことばがあります。ここからも、一緒に歩むために神が賜わった相手とのパートナーシップの大切さを考えるのです。箴言に登場する「しっかりした妻」の姿からは、いわゆる内助の功などということではなく、ことばはふさわしくないかもしれませんがたくましさのようなものが伝わってきます。

 15節からも、「…すぎない」ことを思います。人の忠告に耳を傾けずに、自分の正しさを主張するのは愚か者だというのです。愚か者と神さまから呼ばれるようなことのないように…。


富への態度

2018年10月16日 | 箴言

箴言 11章

 二週間ほどいっしょに過ごした旧友夫妻が昨日帰国しました。いろいろなことを語り合い、いろいろな所を尋ね、一緒に食べ、聖書を読み祈りました。神さまが互いのために良い時を賜わったことに感謝しています。

 11章を読んで、富、富への態度についての格言が目に留まりました。並べてみましょう。

 欺きの秤は主に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。 1節
 財産は御怒りの日には役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。 4節
 直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕えられる。 6節
 悪者が死ぬ時、その望みは消え失せ、財力への期待も消え失せる。 7節
 他人の保証人になると苦しみにあう。保証を嫌う者は安全だ。 15節
 優しい女は誉れをつかみ、横暴な者は富をつかむ。 16節
 悪しき者は偽りの報酬を得るが、義を蒔く者は確かな賃金を得る。 18節
 気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払を惜しんで、かえって乏しくなる者がある。 24節
 おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。 25節
 穀物を売り惜しむ人を民は呪う。しかし、それを売る者の頭には祝福がある。 26節

 富は追い求めるものではなく、神の義を行う者に神がゆだねてくださるものであること、富を追い求めるとごまかしたり、ケチになったりすることなどをここから考えることができます。16節は何を言おうとしているのでしょう。富とは人が身にまとう品性に劣るということでしょうか。「優しい女は誉れをつかみ、横暴なものは富だけをつかむ」と「だけ」を加えて説明している文章もあります。

 富を生活の正しいところに位置づけるようにとの格言の数々として読みました。


二つの口

2018年10月15日 | 箴言

箴言 10章17−32節

 昨日10月14日は、日本では「鉄道の日」。1972年のこの日、新橋と横浜との間に最初の鉄道が開通したのです(実際はその五か月ほど前に品川横浜間で仮開業していたのですが…)。ちなみに、ドイツの鉄道開業日は1835年12月7日だそうです。日本と同じく、当初はイギリスから機関車や客車を輸入してスタートしました。世界最初の鉄道開業はイギリスで1825年でしたから、鉄道時代の開幕以降の進捗は速かったと言えます。鉄道の話題はさておいて…。

 箴言は、2行一まとめの1節をじっくりと立ち止って味わい、右から左から上から下から何度も何度も味わい読むとよいという話を聞いたことがあります。けれども、きょうの箇所にあえて「まとまり」を見出すとしたら、「口、ことば」でしょうか。ことばをどのように聞くかということ、そして正しい人が口にすることばと悪しき者が口にすることばの結末の違いが対比されています。

 ・訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は人を迷わせる。 17節
 ・憎しみを隠す者は偽りの唇を持ち、そしりを口に出す者は愚かな者である。 18節
 ・ことば数が多いところには、そむきがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人。 19節
 ・正しい人の舌はえり抜きの銀、悪しき者の心は無価値に等しい。 20節
 ・正しい人の唇は多くの人を養い、愚か者は良識がないために死ぬ。 21節
 ・正しい人の口は知恵を実らせる。しかし、ねじれた舌は抜かれる。 31節
 ・正しい人の唇は好意を知っており、悪しき者の口はねじれごとを知っている。 32節

 31節の「ねじれた舌は抜かれる」ということばからは、日本にもそんな話があると連想します。ことばを発する人に「心にもない…」と言う言い方をするときがありますが、多くは心にあることを口にするのです。その人がどのような心根を持つかということが現れ出ることばに影響を与えます。軽率なことば、冗談が人を傷つけてはいないだろうか…と、わが身を振り返ります。


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