箴言 17章
一日早く欧州の教職者研修会から戻って来ました。きょうはヴィザの更新日。3回目です。無事に新しい滞在ヴィザを発行してもらえるよう、そのために神がすべてを導いてくださるようにと多くの方が祈ってくださるのを感謝いたします。
本章のはじめにある「かわいたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」ということばは、ほとんどすべての人をうなずかせる格言です。
2節を、1節を踏まえて考えてみました。恥知らずな子どもたちを持つ父親にとって、賢明なしもべはありがたい存在。子どもと同じ物を、いや子どもが受け継ぐべき財産をも受けるまでになる。それは、裏を返せば愚かな子を持つ父親の苦悩がにじみ出ることばでもあるのです。
10節の「分別のある者を一回叱ることは、愚かな者を百回むち打つよりも効き目がある」ということばからも、父親の思いを感じ取れるのではないでしょうか。21節の「愚かな者を生む者には悲しみがあり、愚か者の父には喜びがない」とのことばにも、愚かな者を子に持つ親の悲しみがにじみ出ています。この思いは、25節のことばにも現れています。
家族その他の人間関係にあってほしい「平穏」とはどのようなものか、どのようにして人間関係のうちに実現するのだろうかと考えるとき、あるいは「愚かな子」とは何を意味するのかを考えるときに、箴言の主題のことばが頭に浮かんできます。「主を恐れることは知恵の初め」(9章10節)ということばです。平穏は主を恐れることから来る、愚かとは主を恐れることを退けるところにあるのだと…。