ヨハネの福音書 17章1−19節
残暑の厳しい当地ですが、朝の涼しさを心地よく感じています。「9ユーロチケット」もあと数日になりましたので、どこかに行ってみようかな、とも思っています。
本章は、イエスが弟子たちのためにとりなす祈りで占められています。しかし、本日の「みことばの光」が解くように、ここに記されている祈りは、私たちのための祈りでもあるのです。
1節の「イエスは目を天に向けて言われた」ということばが目に留まります。祈りは「目を天に向けてなされるもの」です。私は祈る時どちらかというと頭を下に向けることが多いのですが、上を見上げて祈ることの大切さをここから教えられます。
昨日は、「みことばの光」の新しい5年サイクルの打ち合わせをデザイナーの方としたのですが、解説があるいわゆる本文のレイアウトが少し変わります。新しいレイアウトは今までよりも初めに「上を見る」ことになります。
話が逸れましたが、イエスの祈りには弟子たちの課題といいますか、欠点に触れるということがありません。いやむしろ、「彼らはあなたのみことばを守りました」とさえ祈っているのです。私もそうですが、人はあれこれと自分が足りない者であること、失敗を重ねてしまうことを嘆きます。もしもそのようなことにだけ目が向くのだとしたら、それこそうつむいてだけいることになります。
弟子たちもそうでした。しかしイエスは弟子たちをそのようにはご覧になりません。「あなたのみことばを守りました」と祈るのです。この祈りには、預言的な意味合いも含まれているのかもしれないとさえ思いました。
イエスについて行こうとする者は、自分の才覚でそれをなしえることはできません。とりなしてくださる方によって、このようなとりなしによって支えられているのです。