コリント人への手紙第一 9章19−27節
近くの教会が木曜日にしている「ドイツ語のお話」に参加していることは、ここでも何度か触れましたが、きのうは1周年の記念イベントでした。お祝いにと赤飯のおむすびを持って行きましたが、さて反応は…? とてもおもしろかったです。
この箇所には、福音を宣べ伝えるパウロの姿勢が明らかにされています。ここを読むたびに、自分はどうなのだろうかと心探られ、襟を正される思いがします。
おそらく、コリント教会を「荒らしていた」知恵ある教師たちのあり方を意識してのことばなのだと思いますが、人を罪と死から生かす力のある福音は、それを正しく力強く宣べ伝えるだけではなくて、伝える者がどのように生きているのかによって人に届くか届かないかが分かれるというように読みました。
ここには、競技者の姿勢に自分をたとえるパウロが描かれています。勝つために自分を鍛え節制する姿がそこには描かれています。みことばを語る者は、みことばによって歩む者でもあるということをパウロは言おうとしているのではないかと、考えました。
「自分自身が失格者にならないように…」、このことばを心に留めます。