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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

誇る者は主を誇れ

2023年07月03日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙 1章18−31節

 日曜日、礼拝の後「流しそうめんの会」をしました。礼拝にもそうめんの会にも大勢の方がきてくださり、ともに温かな良い時間を持つことができました。陽気も元々の当地の夏のようにさわやかでした。スイカ割りがとても盛り上がりました。

 1章後半でパウロは、コリント教会の課題に踏み込みます。この箇所でのキーワードは知恵と愚かさでしょうか。

 この教会には、自分が知恵のある者だと誇る人々がいました。そのような人々は、イエス・キリストが十字架にかかられた、それを信じる者は誰でも救われるという福音の基本、土台は愚かなものだとして、教会はもっと知恵を追い求め、知恵ある人々を高く評価しなければならないなどというようなことを教えていたのです。そして、そのことこそコリント教会の問題の一つでした。

 しかしパウロは、それでも自分は十字架にかかられたキリストを宣べ伝えると語ります。私たちはもしかしたら、人を学歴とか肩書きなどによって評価しているのではないだろうかと問われます。また、自分にどのような知識を持っているのかということを内なる誇りとしているのかもしれません。

 25節の「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」、そして31節の「誇る者は主を誇れ」ということばに心を留めました。警告とともに安心をこれらのことばからいただくことができます。


神の教会

2023年07月01日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 1章1−9節

 7月を迎えました。昨日の夕方音楽大学でのリュートのコンサートに行きました。ある人は情熱的に、ある人は淡々と、ある人は身体が大きいのにとても繊細に……などと、勝手な感想を抱きました。心を静めるとても良い時を過ごしました。

 「みことばの光」は今日からコリント人への手紙第一を読みます。

 初めはパウロの挨拶。パウロはこの手紙で、コリントの教会のさまざまな課題、問題に対処し、教会をキリストのからだにふさわしいものとするために、鋭く厳しいことばを届けなければならないのです。しかし、この部分でパウロはまず、コリントの教会に神が恵みを賜ったことを神に感謝しています。

 2節のことばを目に留めました。パウロはコリントの教会を「コリントにある神の教会へ」と呼びかけています。このあとこの手紙を読み進めていきますと、とても「神の教会」と呼ぶにはふさわしくないようなのですが、パウロは「神の教会」と呼びます。それは、この手紙を読む彼らに、教会が「神の教会」なのだという自覚を促すという意図もあったのかもしれません。

 大きな問題を抱えている相手に、あるいは罪を犯している相手にことばを届ける時に、「とんでもない!」とか「ひどいという話ではないか」などとけんか腰で手紙を始めるならば、相手の心を堅く閉ざすかもしれません。いやそれ以上に、パウロはどんなに大きな課題があったとしても、キリストがご自分のいのちによって買い取ってくださった神の教会だという事実に立つということが、解決への第一歩だということに気づかされます。


このような人たち

2018年10月31日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 16章13−24節

 2018年10月はきょうが最後。昨年のきょうはルターによる宗教改革500年という記念の年でドイツ全州が祝日でしたが、今年はいつもの年に戻って、東部の5州のみが休日として覚えられます。

 コリント人の手紙第一も終わりの部分を読みます。厳しい内容も含まれている手紙を閉じるとき、人は何を書くのだろうかと思いながら、パウロのことばをたどりました。

 13、14節には5つの命令があります。異教の地に誕生したコリントの教会での福音を守るための戦いは、止むことがありません。ぼんやりとしていたら、たちまちあらぬ方向に行ってしまいやすい教会に、これまで述べてきたことをまとめるようにして、5つのことを命令しています。これらは、いつの時代でも教会が受け止めなければならない大切なことです。

 私には特に、「一切のことを、愛をもって行いなさい」という命令が心に留まります。豊かな賜物を持つ人々が集まっているのに、かえってそれがわざわいとなって教会の働きを妨げているのは、ひとえに愛の欠如が原因でした。自分の思い、ことば遣い、行動がこの原則に基づいたものかを照らす必要があるのは、当時のコリントの教会だけでなく、私も同じです。

 パウロはこれらの命令を、次に挙げる人々の顔を思い浮かべながら記させているのではと想像します。スティファナとポルトナト、そしてアカイコは、コリント教会からパウロのところに質問状を持参する使いとしてやって来た3人だったのでしょう。彼らは質問状だけでなくて、懐かしいコリントの香りも届けてくれたのです。遠く離れた所に住んでいますと、訪ねて来てくれるのが嬉しく思います。私たちも、このような人々によって神からの贈り物を受けているのですね。


機会があれば…

2018年10月30日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 16章1−12節

 お琴の演奏をしてくださった方を空港まで送りました。普段は旅行用のキャリーバッグの大きい物ぐらいで慣れていたので、お琴を運ぶのは考えた以上にたいへんでした。けれども、その折りに知恵が与えられて、無事に荷物を預けることができました。普通の荷物よりも大きいので追加料金が必要なのですね。これも初めての経験でした!

 ここは、災害の中での緊急の助けを必要としていたエルサレム教会への献金を集めることについて、パウロが予定を書いている箇所です。そして、特に彼がここで明らかにしているのは、誰が献金を集めにコリントを訪ねるのかということです。初めの2-9節では、パウロ自らがコリントに行くと書いています。けれども次の10、11節では、エペソでの働きが拡大しているのでテモテを送るかもしれないと書いています。そして12節を読むと、コリント教会はアポロに来てほしいと望んでいるような雰囲気が伝わってきます。そしてパウロも、コリント教会のためにはアポロが行ったほうがよいと勧めたけれども、今のところアポロには行く意志が全くないことも知らせています。

 「予定は未定」とよく言われます。「みことばの光」の編集をしておりますが、予定していたとおりに物事が進まないということが時々起こります。原稿が締め切りに届かない、編集が思ったよりも時間がかかってしまったなど…です。「みことばの光」は月刊誌なので、この号の編集を終えて印刷所に送ると間もなく、次の号の編集が本格的になるという具合に事が進みます。

 そのような中で、「良い機会が」という12節のことばに目が留まります。自分が考え、練り上げた計画がうまく進めば嬉しいです。しかし、そのとおりにいかないこともあります。パウロはここで、「私が、…いやテモテが、…アポロは…」と書いています。決して無責任なのではなくて、いっしょうけんめい考え、考えたことを実行しようとするのだけれども、それをはるかに超えて神のご計画が進められるのだということに気づくのは、とても大切なこと。へりくだることを学ぶ機会ともなります。何か、物事が思いどおりに進まないことの言い訳のようになってしまいました…🙇


今を生きる力

2018年10月29日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章50−58節

 日曜日の礼拝では、琴による賛美が献げられました。琴の音色を外国で聴くというのは不思議な感じがします。きょうはベルリンに向かい、ベルリンの教会での礼拝その他で演奏をなさるとのこと。お二人の旅を神が最後まで守ってくださるようにと祈りました。

 復活についてのパウロの論証はクライマックスを迎えました。キリストは事実復活されたのだから、キリストを信じる私たちにも復活の希望があるとパウロは書き続けます。

 私たちがまとっているこのからだはやがて朽ちるもの。死という現実の前には、誰もが恐れや無力感を味わいます。しかしパウロは、キリストの復活の事実の上にやがてキリストの再臨の際には何が起こるのかを明らかにします。想像できないことが待ち構えています。

 「一瞬のうちに変えられる」ということばに目が留まります。一瞬のうちに変わるとは不思議な現象です。「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」キリストにあって死んだ者もその時生きている者も、キリストが復活されたことによって可能になったものを体験するのです。

 そして、この希望を持つことは、今の生き方に大きな意味を持つのです。確かな「やがて…」ガアルゆえに、今を力強く生きていくことができるのです。感謝!


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