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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私に倣う者に……

2023年07月08日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙 4章14−21節

 金曜日夕方に外に出てみますと、「暑い!」 室内が涼しかったことに気づきました。日本は梅雨明け間近のところも多いようですね。家族にお願いした梅干しも順調のようです。

 コリント人への手紙を読み進めますと、パウロを初めとして関わりのある人々の顔が見えるように思いになります。パウロは歯に衣を帰すような言い方でなくて、まっすぐに悪いものは悪いと読者たちにはっきりと書いています。

 「私を倣う者となってください」という16節に目が留まります。そのように言い切ることができるパウロは、決して高ぶっているわけではありません。神の前に落ち度なく立派に生きているという模範を示しているようにも響きます。それだけでなく、罪を犯したならば熱心になって悔い改める、進んで困難の中にある人々とともに歩むという生き方のように響きます。

 17節でパウロはテモテを紹介しています。テモテのつとめは「キリスト・イエスにある私の生き方を、…思い起こさせてくれる」ことでした。

 18節も興味深いと思いました。テモテをコリントに使わすとパウロが書いたあとのことばですね。パウロはそのように書きながら、この手紙を読んだコリント教会のある者たちが安堵する表情を思い浮かべたのかもしれません。「あのうるさいパウロがやって来ないのはありがたい」と…。

 そんな彼らにパウロは、主のみこころならばすぐにでも行くと言うのです。生きたいのは山々、しかし、主がお赦しになるのならばすぐ行くし、そうでないのならとどまる、ここにもコリント教会が倣うべきことがありました。


キリストのしもべ

2023年07月07日 | コリント人への手紙第一

コリント人への第一の手紙 4章1−13節

 夏休みに行われる年に一度の行事のためのハンドブックを作っています。なじみのお名前もあれば、初めてのお名前も……。出会いを楽しみにしつつ、名簿に取り汲んでいます。

 パウロは、自分を含めての使徒や教会の奉仕者のことを、「キリストのしもべ」そして「神の奥義の管理者」と言っています。これは、コリントの教会がパウロやアポロ、ケファ(ペテロのこと)を、そしてイエス・キリストまでも、自分たちが気に入った、反対に気に入らないリーダーだと考えていることに対する、反論です。自分たちはあなたがたに雇われているのではない、自分たちの主人はキリストお一人なのだと言うのです。

 だから彼は、コリント教会が自分のことを評価し、さばくことについて、「非常に小さなこと」だと言うのです。教会のリーダーは、評判の良い人であれというのはよく言われることですが、それを気にするあまり、つまり人を恐れてパフォーマンスに走ったりしてはならないということをここから教えられます。もちろんそれは、居直りということではありません。教会の指導的な立場にある者は、誰によってそこに置かれ、誰のために働いているのかということを、常に心に留めなければならないということを、ここから教えられます。

 9節の「見せ物」、13節の「この世の屑」「かす」ということばに目が留まります。これらは良い意味では用いられません。死罪に定められた者が人々の前にその姿をさらけ出すという意味であり、人々から蔑まれるということです。自分をこのように描くパウロのことばに、キリストのお姿が重なります。


その日

2023年07月06日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 3章10−23節

 さわやかな初夏の気候が続いていますが、週末は暑くなるとの予報が出ています。

 パウロは、コリント教会が勝手にパウロやアポロ、そして1章12節も読みますとさらに、ケファ(ペテロのこと)や主イエスまで担ぎ上げて、分裂を引き起こすようなことをしていたことが分かります。

 3章後半では、信仰者の、そして教会の土台がキリストであり、その上にそれぞれが何を材料にして家を建てるかによって、働きが明らかになるのだと書いています。

 さらに家を建てることとに関連して、パウロは、クリスチャン、教会が神の宮なのだと話を進めていきます。分裂を引き起こす者は、その聖なる神の宮を壊すわざに加担するのであり、神の厳しいさばきを受けなければならないとまで書いています。知恵を誇ることは、自分が優れているのを誇ることであり、それが党派心や分裂へと繋がるのです。

 日本で牧師として務めさせていただいた教会が、新しい建物の建築を始めています。その様子が動画配信サービスで流れてくるのですが、ここ数日は地盤補強工事を行っています。早送りで流れてくる映像を見ながら、土台が堅固であることがどんなに大切かを思いました。教会としてさまざまなことに取り組むのですが、それぞれの働きが「その日」に明るみにされるということばに、襟を正されます。

 いつを、何を目当てに生きているのかという問いかけをここから受けています。


肉の人

2023年07月05日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 3章1−9節

 朝のネットグループデボーションに参加しました。カメラはオフにしておく約束なのですが、うっかりカメラをオンにしてしまいました。「得した」と言う声が聞こえてきましたが…。でも確かに、音声だけというのは良いと思います。

 ここでパウロは、コリント教会の人々を「肉に属する人」、「キリストにある幼子」、「肉の人」、「ただの人」などと呼んでいます。厳しい呼び方です。彼は、いわゆる奥歯に物が挟まったような言い方はしません。この手紙を読んだ人の中には、感情を害した者もいたことでしょう。しかし、そのような受け止め方こそ「肉の人」の姿なのです。

 「肉の人」がどのような行動をするのかを、パウロは4節以下で展開していきます。それぞれが勝手に教師たちを祭り上げて、互いに競い合い、それがねたみや争いの原因となっていました。もちろん、ここに書かれているパウロ自身も、アポロもまさかコリント教会のある者たちが自分をそのようにしていることなど知りません。

 6−7節に目が留まります。神が第一、イエスさまがいちばんと言いながら、いつの間にか人に繋がり、「……先生がこう言った」などということに夢中になるのです。奉仕者は互いが「同労者」なのであり、「同業者」ではないということを心に留めます。


神の奥義

2023年07月04日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 2章

 7月も一ヶ月間使用できる乗り放題切符を購入しましたので、少し遠くのお店に買い物に行った帰り道はバスに乗るなど、バスや電車を気軽に利用できるのは、嬉しいことです。

 2章でもパウロは、知恵について書いています。コリント教会を混乱に陥れている「知恵を誇る人々」を意識してのことです。しかし、このように書くパウロ自身も知的な人物。使徒の働き9章には、パウロの回心、つまりパウロがナザレ人イエスをキリスト(メシア)だと信じる出来事が記されているのですが、キリストが彼に会ってくださるその時まで、イエスをキリストだと信じる人々を迫害する側にいたのです。

 キリストが十字架につけられて死ぬなどということがあるはずがない、そのナザレ人が復活した、そしてナザレ人イエスをキリストだと信じる者は誰でもが罪の赦しを受けることができるという教えを、パウロはたわ言と考え、信じる人々を愚かだと決めつけていました。

 この章で目に留まることばは、「奥義」です。奥義ということばからは、秘められた教えという響きがあります。それこそ、知恵ある人にだけ開放される教え、秘義のようです。しかしパウロは、ここではそのようにはこのことばを用いていません。1節に「神の奥義」とあります。これはむしろ、人間がどんなに知恵を駆使してそれを探り求め、理解しようとしても到底不可能なものという意味です。

 ここでパウロは、奥義とは、キリストの十字架による神の救いの計画だと言っています。この世の知恵者にはとても受け入れがたいものです。簡単すぎる、いや、ばかばかしいと否定されるような教えが、聖霊が導かれる時に人のたましいに届くのです。


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