レビ記 20章
礼拝や祈祷会をする場所は、自宅から北に4キロほどの教会。周辺には木組みの家が残っています。きれいな小川も流れていて、来るたびに「田舎だなぁ」と…(お住まいになっている方々、ごめんなさい)。とても良い所だと来るたびに思うのです。
本章に記されているのは、18章と重なる部分が少なくありません。しかし、違いもあります。本章には厳しい罰が下されるということばが繰り返されています。
これまでも書きましたが、レビ記では特に性的な事柄について、神の基準が明示されています。それらの中には、現代では「常識」だとされ、公然と行われていることと、かけ離れていることもあります。けれども、改めて考えてみますと、ここで神が厳しく戒めている一つ一つのことは、イスラエルの民がこれから辿っていく荒野の旅の道筋に、そして神が与えると約束しておられる「乳と蜜の流れる地」で、彼らを待ち構えているものでもありました。
ここで神が倣(なら)ってはならないと言っておられるのは、神ならぬものを神としてあがめる人々の生き様です。イスラエルの民も、自覚がなければ容易にその生き方に引きずられてしまいます。ですから神は、「わたしは、あなたがたを諸民族の中から選り分けた、あなたがたの神、主である」と言われるのです。
神によって選り分けられたというのは、「聖くされた」ということばの意味です。選り分けられた者だから、彼らは自分たちが食べる動物や鳥ををきよいものと汚れたものとより分けるのです。そのようにして、食べることにおいてもイスラエルの民は自分たちが神によって選り分けられたものであるとの自覚を持ち続けるのです。
「選り分けた」ということばは、キリスト者が時代の中でどのように歩むのかについて、何を語っているのだろうかと、思い巡らしています。