レビ記 24章
昨日午後には、近くの教会のドイツ語クラス(といっても昨日の生徒は私たちも含めて3名)に参加しました。久しぶりに参加した中国からの方としばし、新型コロナウィルスの話をしました。昨日のクラスでは、二つの名詞の後ろと前とに同じことばが入るのだが、何ということばか…という課題でした。日本語で例えると、「簡易包装」と「包装紙」というようなものです。つまり「簡易」と「紙」をつなぐことばを考えてみようということでした。それにしても、私たちのようなものを忍耐して教えてくださるのには、感謝でいっぱいです。
24章前半には、幕屋における祭司の日常の務めのこと、神を冒瀆した者への厳しいさばきの事件のことが記されています。
前半の日常の務めについては、繰り返されている「絶えず」ということばが目に留まりました。会見の天幕の聖所にある燭台のともしびを絶やしてはならないということ、同じく聖所にあるパンの台には、12個の輪形のパンを絶やしてはならないということを、主ご自身が語っておられます。
毎日行われる仕事や作業のことを、最近では「ルーティーン」と言っています。スポーツ選手の場合は、このルーティーンを怠けず、だらけずに行うことが実力につながると言われます。キリスト者の生活にも「絶えず」行うことがあります。ここで「ともしびを絶やさない」というのは、光なるイエスのもとに毎日行くようにということを象徴しています。パンを絶やさないということは、毎日神に感謝するということととらえてもよいと思います。
誰にも見られない、神との個人的な時と場を絶やさないことが、生活を支えるのですね。