ガラテヤ人への手紙 6章
土曜日の午後、停車中に自動車を擦られてしまいました。怪我はなかったのが幸いです。自分では用心しているつもりなのですが、こちらの用心だけでは避けられないこともあるのですね。
ガラテヤ人への手紙も終章を迎えました。短い手紙の中に、密度の濃い教えがギュッと詰まっているような印象を持ちながら読み進めてきました。
6章1−10節には、その前の章でパウロが書いている「愛をもって互いに仕え合いなさい」という命令を、具体的にどのようにして行なうのかについて書いてあるように読みました。
この箇所には、過ちに陥っている人に柔和な心で正してあげること、互いの重荷を負い合うこと、みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合うこと、失望せずに善を行うこと、とくに信仰の家族に善を行うことが勧められています。
そのどれもが、なかなか結果が目に見えないものかもしれません。これらのことを肉のわざとして行なうならば、がっかりしたり怒りを抱いたりするようになるでしょう。結果がすぐに現れないので、喜びや充足感もなかなか経験できないものでもあります。
けれどもパウロは、「あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります」とまとめています。
あきらめかけていることが何かないだろうかと、自問する時でもありました。