ピリピ人への手紙 3章1−11節
昨日から掲載している写真は、近くの公園に咲き始めた花々です。昨日までの数日は暖かく、そのためか花がちょっと顔をのぞかせたかのようです。写真を撮りながら、去年もここで春を発見した…と思い出しました。
ピリピ人への手紙3章前半の主題は、「誇り」ということばがふさわしいと思いました。パウロがまず注意を促しているのは、悪い働き人に対してです。この者たちは肉体だけの割礼の者とも言われ、「犬ども」と厳しいことばでも呼ばれています。彼らは、ピリピの教会の人々に、イエスを信じるだけでは救われない、律法を守らなければならないと説いて回ったのです。
パウロは、自分もかつてはその一人だったけれども、今はもう、そんなものは何の価値もないということが分かったと証ししています。彼にとっての大きな人生の転換であり、価値観の転換です。なぜ彼はこれまで大切にしてきたものを「ちりあくた」だと考えるようになったのでしょう。それは、キリストを知ったからです。
彼は、自分の育ちや行いではなくて、キリストお一人を誇る者となったのです。
10節の「キリストの苦難にもあずかって」ということばが心に留まります。この手紙は獄中から書かれています。しかし、そのような体験は、キリストを知るようになった、キリストとの結びつきを賜った彼にとっては、むしろたいへん有り難いことなのだとさえ言うのです。信仰を自分の願望の実現のためだと考えるようなこととは全く異なっています。
キリストお一人が彼の誇りだからです。