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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

継承するもの

2020年07月11日 | 列王記第二

列王記第二 14章1−16節

「彼は主の目にかなうことを行った。ただし、彼の父祖ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりに行った。」 14章3節

 7月も中旬に入り、夏休みを楽しんでいる人も少なくありません。けれども今年は、国内に出かける方が多いようです。どこかに恐れを覚えながらの休みのなのでしょうね。

 南王国ユダ9代目の王はアマツヤ。ここには、王としてのアマツヤの歩みのいくつかの出来事が並びます。

 アマツヤは王としての実力を身につけると、謀反を起こし父を暗殺した家来たちを殺します。しかし、彼の行動には律法に従うゆえの抑制が伴っています。「満を持して…」ということなのでしょうが、父を殺された個人的な恨みもあったかもしれませんが、ユダの王に謀反を企てる者が受けるべき制裁をとの可能性を想像します。

 次は、エドムとの戦いで勝利したこと。列王記ではわずか1節でサラッと書いていますが、詳細は歴代誌第二、25章5−17節に書かれていますので、お読みください。

 そして、エドムの勝利の勢いを駆ってか、北王国イスラエルのヨアシュ王と対決します。ヨアシュが諌めたにもかかわらずアマツヤは戦いを強行。惨敗して敵に捕えられ、多くの宝物を奪われてしまいます。

 3節のことばに目が留まります。主の目にかなうことは行ったが、父祖ダビデのようではなく、父のとおりに…ということばから、「継承」ということを考えます。父のとおりに、主の目にかなうことは行ったのです。しかし、このことばには何か、習慣的なニュアンスがあるように思います。

 彼は確かに、ことばにも行動にも主の目にかなうことは行ったのです。けれども、様々な出来事の中で、親から受け継いだ信仰が試みられ、格闘し、敗北し、そこで主に悔い改めるなどして、信仰の大きな転機を経験することはなかったのではないか、と考えるのです。結果としては親の信仰を継承したとしても、そこに至るまでの道は、一人ひとり異なるのだということではないでしょうか。


神の忍耐

2020年07月10日 | 列王記第二

列王記第二 13章

「主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。」13章23節

 昨日、日本でお亡くなりになったご家族の葬儀に行くことができずにいた方々と小さな葬儀をしました。 召された方は、素晴らしい信仰の勇者でした。

 本章には北王国イスラエルの王たちが描かれています。エフーのあと、エホアハズ、ヨアシュが王になりました。北王国の王にふさわしくと言っては何ですが、彼らについての列王記著者の評価は、「主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪」を犯し続けたということでした。

 そのような彼らは、しかし全く主をないがしろにしていたというわけではなく、エホアハズについては「主に願った」とあり、ヨアシュはエリシャを頼りにしていました。しかし、それらは彼らが主にかなっていたから、ということではありませんでした。

 23節のことばが心に留まります。主はこのような北王国であっても、このような王であっても、その国にいるご自分の民を覚えておられました。「それでも御顔を背けて彼らを捨て」ることはなかったのです。あのエフーが王となるべく油を注がれた時のことばを思い出します。「わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする」(9章16節)です。

 イスラエルは、どのようなことになっても、主の民なのです。神の忍耐を思います。


生きている間は

2020年07月09日 | 列王記第二

列王記第二 12章

「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。」 12章2節 

 梅雨末期の日本で、豪雨により大きな被害が出ていると報じられています。お住まいの所はいかがでしょうか。

 祭司エホヤダと妻のエホシェバによって隠され、7歳でユダの王となったヨアシュ。彼の治世は40年に及びました。ここで目に留まるのは、ヨアシュ王が祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも主の目にかなうことを行ったということです。彼はエホヤダの後ろ盾で、ユダの王にふさわしく国を治め、神に仕えたのです。

 しかし、エホヤダが亡くなると彼は変質します。ヨアシュ王については、歴代誌第二24章にも記されているのですが、そこを読みますと、エホヤダの死後、ユダの長老たちが彼を伏し拝んだとあります。これが彼が神を離れることに通じたのかもしれません。後ろ盾がいる間は神への信仰が保たれているけれども、取り去られると信仰もどこかに行ってしまったというのです。

 人の成長のことを思いました。小さいうちは、親や親代わりの存在がどうしても必要です。教えられ、まねをして成長していきます。そして、いつか子どもは親から離れていきます。自立ですね。ヨアシュはどうだったのでしょう。エホヤダが導いてくれた一つ一つのことが本当の意味で身についてはいなかったのでしょうか。

 ヨアシュにとってエホヤダは父親代わり。エホヤダの教えることに素直に耳を傾け、行おうとして歩んだことでしょうが、彼は自分で考えてみたのでしょうか。本当に自分が従うべきが、エホヤダではなくて主なる神であるということを学ぶことはなかったのかもしれません。

 エホヤダの息子ゼカリヤは、態度を変えたヨアシュを戒めるのですが、ヨアシュはゼカリヤを殺します。この後ヨアシュの人生は暗転していきます。

 自分は誰に繋がり誰に聴くのだろうか…。


隠された王

2020年07月08日 | 列王記第二

列王記第二 11章

「ヨアシュは七歳で王となった。」 11章21節

 自宅から30分も走らないで、城郭の残る町へ。高級住宅地とのことですが、なるほど…と思わせるお店も散在しました。山上の城跡まで歩きましたが、眺望は抜群。およそ5時間の小旅行です。

 神が選ばれたエフーによって北王国イスラエルのアハブ家の者たちも、バアルの信奉者たちも一掃されたのですが、イゼベルによって持ち込まれた悪は、政略結婚によって南王国ユダに深刻な影響を与えていました。

 アタルヤは、北王国のアハブ王の父オムリの孫娘。8章25節以降には彼女がユダの王アハズヤと結婚したとあります。その結果、アハズヤ王は「アハブの家の道に歩み、アハブの家に倣って主の目の前に悪であることを行った。彼自身、アハブ家の婿だった」となります。

 しかし、アハズヤもエフーに殺されてしまいます。その時アタルヤは、すぐに王の一族全員を滅ぼすのです。このようなことは歴史の中でよくあること。けれども、ダビデ王家にただ一人残った赤ちゃんがひそかに隠されたのです。隠したのはなんと、アタルヤの夫ヨラムの娘、つまりアタルヤの義子にあたるエホシェバ。

 神はエホシェバと夫である祭司エホヤダを用いて、ご自分の約束を守られたのです。隠されたヨアシュは、ダビデ王家のともしびでした。「主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである、」8章19節

 折々の判断、行動が神のわざにつながるのです。

*エホシェバの家族関係について、最初の文書に誤りがありましたので訂正しました。また、本日の「みことばの光」21ページ1行目を次のように訂正いたします。

(誤)アタルヤの異母姉妹エホシェバは

(正)ヨラム王の娘、すなわちアハズヤの異母妹エホシェバは、


引っ掛かりをおぼえること

2020年07月07日 | 列王記第二

列王記第二 10章18−36節

「へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」ミカ書6章8節

 サクランボのジャムがたくさんできました。二人では食べ切れません。さて、どうしましょう。

 10章後半は、アハブ家を絶滅させたたエフーによる次の行動から始まります。アハブの妻イゼベルが持ち込んだバアル崇拝の根絶です。この出来事を読むと、エフーは力任せで荒々しいだけでなく、知恵も持ち合わせていたのだということが分かります。

 それにしても、アハブ家を滅ぼし、バアルの崇拝者たちを皆殺しにするというのを読むと、エフーがすることは衝撃なことばかり。周囲に驚きや恐れをもたらすには十分です。裏を返せば、それだけ北王国イスラエルは危機的だったということなのです。

 30節には、主がエフーのしたことを認めて、四代目まで彼の子孫が王座に着くという約束をお与えになりました。「みことばの光」も触れていますが、一方で主は、エフーのイズレエルで流血ゆえにエフーの家を罰すると預言者ホセアによって語っておられます。⇒ホセア書1章4節

 エフーのことを読んでどこか心に引っ掛かりを覚えるのはなぜでしょうか。29節の「ただしエフーは」や31節の「しかしエフーは」とあります。彼は確かに神に用いられました。そして成し遂げたのです。しかし、神がその人を用いるからといって、その人が神の心にかなった者だとは限らないのだということを、エフーの姿から問われています。


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