列王記第二 14章1−16節
「彼は主の目にかなうことを行った。ただし、彼の父祖ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりに行った。」 14章3節
7月も中旬に入り、夏休みを楽しんでいる人も少なくありません。けれども今年は、国内に出かける方が多いようです。どこかに恐れを覚えながらの休みのなのでしょうね。
南王国ユダ9代目の王はアマツヤ。ここには、王としてのアマツヤの歩みのいくつかの出来事が並びます。
アマツヤは王としての実力を身につけると、謀反を起こし父を暗殺した家来たちを殺します。しかし、彼の行動には律法に従うゆえの抑制が伴っています。「満を持して…」ということなのでしょうが、父を殺された個人的な恨みもあったかもしれませんが、ユダの王に謀反を企てる者が受けるべき制裁をとの可能性を想像します。
次は、エドムとの戦いで勝利したこと。列王記ではわずか1節でサラッと書いていますが、詳細は歴代誌第二、25章5−17節に書かれていますので、お読みください。
そして、エドムの勝利の勢いを駆ってか、北王国イスラエルのヨアシュ王と対決します。ヨアシュが諌めたにもかかわらずアマツヤは戦いを強行。惨敗して敵に捕えられ、多くの宝物を奪われてしまいます。
3節のことばに目が留まります。主の目にかなうことは行ったが、父祖ダビデのようではなく、父のとおりに…ということばから、「継承」ということを考えます。父のとおりに、主の目にかなうことは行ったのです。しかし、このことばには何か、習慣的なニュアンスがあるように思います。
彼は確かに、ことばにも行動にも主の目にかなうことは行ったのです。けれども、様々な出来事の中で、親から受け継いだ信仰が試みられ、格闘し、敗北し、そこで主に悔い改めるなどして、信仰の大きな転機を経験することはなかったのではないか、と考えるのです。結果としては親の信仰を継承したとしても、そこに至るまでの道は、一人ひとり異なるのだということではないでしょうか。