ヨハネの福音書 19章31−42節
12日間の帰国もあっという間に終わりました。前回はインフルエンザでほとんど休んでいましたが、今回はいろいろな方とお目にかかれたり、お耳にかかれたりしました。
金曜日は奥多摩へ。さすが青梅線。小学生の遠足でしょうか。子どもたちのにぎわいが心地よく感じられました。途中駅から白髪の女性が乗って来ますと、座っていた三人の女の子がさっと立って譲ろうとしたのですが、残念! 他の人に座られてしまいました。そうしたら、今度は少し離れた所に座っていた男の子たちも席を立ち、「どうぞ」と声をかけたようです。その方は笑顔で子どもたちの間にお座りになりました。
この箇所には、イエスの埋葬の様子が記されています。その描写の中に「これを目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである」という、福音書記者のことばが加えられています。この福音書を弟子のヨハネが書いた目的は、20章31節にあります。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
イエスが十字架に架かられたことを私はこの目で見た、目撃者なのだ、本当に起こったのだ、そして、それはあなたがたも信じるようになるためなのだ、とヨハネは訴えるのです。
イエスのからだを十字架から取り降ろしたアリマタヤのヨセフ、そして埋葬を手伝ったニコデモのことがそのあとに続きます。二人とも、イエスへの信仰を隠していたのですが、ここでそれが明らかになります。十字架が明らかにするのを促したとも言えます。
いろいろな事情でイエスへの信仰を表明できずにいる人もいるかもしれません。いつか、それが明らかになることを祈ります。