みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

墓にいた人々

2016年03月26日 | 受難と復活

マタイの福音書 27章57—66節

 Karfreitag(聖金曜日、グッドフライデー)祝日のきのうは、あいにくの雨。家で一日を過ごしました。普段できなかったことがはかどりました。でも、これでは休みではありません…。けれども、主イエスが十字架につけられた日が休みで、街も静かなので、ハイドンの「十字架上の七つのことば」を聴きつつ、十字架を覚える幸いな日となりました。

 きょうの箇所は、十字架で息を引き取った主イエスのからだを、アリマタヤのヨセフが引き取り、自分の墓に埋葬する場面から始まります。ここに登場するのは、アリマタヤのヨセフとマグダラのマリヤとほかのマリヤ、そしてイエスのからだを盗まれないようにと対処する人々です。十一人の弟子たちがここにないのが印象に残ります。イエスの埋葬にかかわったのは、自分がイエスの弟子であることを隠していた者であり、それを見ていたのは女たちでした。また、祭司長とパリサイ人たちが願ったことで、墓はイエスの「敵」たちの手で「守られる」ことになりました。

 ここにはペテロたちの姿はありません。埋葬と墓の番を彼らがしなかった、いや、できなかったことは、日曜の朝に起ころうとしていることについて、神が備えておられることの一つだったと思うのです。イエスの十字架と埋葬、そして復活のために、神はいろいろな「伏兵」を用いておられるだということが印象に残ります。

 すばらしいイースターをお迎えください。


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