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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

敵の手から救い出し

2020年12月24日 | クリスマス

ルカの福音書 1章67―80節

 クリスマスイヴ(当地ではHeiligabend「聖なる夜」と呼びます)をどのようにお過ごしですか。昨日も書きましたが、今日はお昼過ぎでスーパーは店じまい。26日までの「クリスマス第2祝日」まで連休です。今年は27日が日曜日なので、いつもよりもお休みが長いはずですね。

 ルカの福音書1章の終りにあるのは、ヨハネの父となる祭司ザカリヤの賛歌。今月号の「みことばの光」には、「ルカの福音書が描く救い主の賛歌」という記事があります。それによると、ザカリヤの賛歌は「ベネディクトス」(「ほめたたえよ」)と呼ばれ、神が救い主を送ってくださることを信じて神をほめたたえ、さらに、わが子ヨハネは主の御前に先だって道を備える働きをさせていただくと感謝しています。

 この歌で繰り返されるのは「救い」ということばです。敵の手によってがんじがらめにされ、自分ではどうすることもできない者のために、主は救いの手を伸べ、救い出してくださると歌うのです。そして、その出された救いの手こそ、ダビデの家に立てられた主のしもべ、イエスでした。

 これは、子どもが与えられてありがたいというザカリヤの個人的なものではない、すべての人々の救いがなされようとしているというスケールの大きな賛歌です。そして救い出された者は、「恐れなく主に仕えるように」なるのです。

 今宵、クリスマスの主人公を思う人が一人でも増やされるように、そしてこの救いを得る人がありますように…。


ものが言えるようになって神をほめたたえた

2020年12月23日 | クリスマス

ルカの福音書 1章57―66節

 24日午後から26日までは、ガソリンスタンドなどを除くとすべてのお店がクリスマスで休みになるので、そろそろ休みのために食料品を買おうとスーパーが混み始めました。店先でクリスマスツリー(本物のもみの木)が売られています。こちらは、25日が終わると片づけるなどということはないので、今から購入する人もいます。

 神の使いによって誕生が予告された二人の男の子、先に生まれたのはザカリヤとエリサベツ夫妻の赤ちゃんでした。祭司職のザカリヤに男子が誕生したのですから、その名前も継がれていくはずでした。

 けれども、エリサベツは口の利けないザカリヤに代わって、「ヨハネ」という名をつけなければならないと親類に告げます。エリサベツは自分の主張を貫きました。それは、神の使いのことばどおりに、与えられるはずのないわが子を授かったという事実が、彼女を支えたのです。慣習ではなくて神のことばに従うという大切な訓練をエリサベツ、そしてザカリヤはここで受けているといえます。

 書き板に「ヨハネ」と書いたとき、再びザカリヤの口は開かれました。ことばが語れるというのは神の恵みなのだということを、素直に教えられます。そして、ほぼ一年近くに及ぶでしょうか、長い間の沈黙を経て最初に出てきたのが神への賛美だったというのは、この間の沈黙がザカリヤにとって大きな意味を持つものだったということを語っています。

 神の前に静まることから、その人の口に語るべきことばが出てくるのだと教えられます。


あわれみを忘れずに

2020年12月22日 | クリスマス

ルカの福音書 1章38−56節

 待降節第四週。今週はいよいよクリスマスですが、「みことばの光」は先ほど3月号の制作を終えました。これを手にする頃は、日も長くなっていることだろうと楽しみです。ちなみに昨日は一年で最も夜が長い一日でした。希望に向かってターンです。

 ここにあるのは、「マニフィカート」として知られているマリアの賛美。「私のたましいは主をあがめ」ということばのラテン語に由来しています。

 受胎告知を受けてマリアは、親類のエリサベツを訪ねます。「山地にあるユダの町」と39節にありますので、マリアの住むナザレからはかなりの距離です。エルサレム西部のエン・カレムにはザカリヤとエリサベツの家があったと伝えられ、記念の訪問教会が建てられていますが、場所は特定されていません。マリアはどんな思いで、エリサベツを訪ねたのだろうと想像が膨らみます。

 この賛美は、多くの人がマリアに抱いているイメージを覆すほど力強い内容です。ボンヘッファーは、マリヤのこの賛美を革命的だと書いています。権力ある者が王位から引き降ろされ、低い者が高く引き上げられるというのですから…。しかも、それが兵力によるのではなく、マリアの胎に宿りやがて生まれてくる幼子によってなされるというのです。

 この賛美に繰り返し登場する「あわれみ」ということばに目が留まります。主のあわれみは、力ある者や権力ある者にではなく、それらによって虐げられた人々、あるいは罪に嘆く者の上に届けられます。

 間違っても、神に選ばれるにふさわしい者だなどと勘違いしてはならない…。あわれみを注がれた者の一人、なのです。


おめでとう、恵まれた方

2020年12月21日 | クリスマス

ルカの福音書 1章26―38節

 クリスマスの物語は、2人の赤ちゃんの誕生に始まります。 ここには、マリアへの受胎告知が記されています。この場面は多くの絵画に表されています。祭司ザカリヤに男の子が生まれることを告げた神の使いガブリエルは、その6ヶ月後にマリアに現れます。

 ザカリヤとマリア、この2人への神の使いの現れにはいくつかの共通点があります。1つはそれぞれに赤ちゃんが生まれるということ、そして「恐れるな」ということばが2人に語られることです。 さらに、生まれてくる男の子がどのようなことをするのかについても、あらかじめ伝えられています。

 やはり、御使いがマリアに開口一番「おめでとう、恵まれた方。」と言ったそのことばに目が留まります。「 おめでとう」 とは、 合格や成功また、 受賞などの際にかけられる祝いのメッセージです。 そのような意味で、「おめでとう」と言われるような 経験をマリアはするのでしょうか。

 いいえ、彼女は神の子イエスを受胎することによって、 むしろ大変な歩みをすることになるのです。 もちろんマリアは、この先自分の身に何が起こるかを知っていません。 恵まれるとは自分に良いことが起こるという意味に受け取られがちですが、マリアの例を見るとそうでないことがわかります。 つまり、ここで御使いはマリアに、「あなたに良いことが起こる」と言っているのではないのです。

 鍵は、すぐその後の「主があなたと共におられます」ということばにあります。「インマヌエル」(神が私たちとともにいる)は、クリスマスのメッセージです。 何があっても何がなくても、「主が私と共におられる」のは恵みなのです。負け惜しみでなく、それこそが恵みなのです。

*写真:ロックダウンに入る前のショッピングンモール


命じたとおりに

2019年12月23日 | クリスマス

マタイの福音書 1章18−25節

 昨日は冬至。一年で最も夜の長い日でした。これからは日一日と夜明けが早く、日の暮れるのが遅くなります。長い夜を経験していましたので、これから夏に向けてがとても楽しみです。冬至にちなんで、「冬至南瓜」ならぬ「白玉団子」を作りました。「柚子湯」ともいきたいところですが…。

 クリスマスの出来事には、いろいろな人が登場します。一人ひとりの決断が意味を持って救い主がこの世界においでになることへとつながっていくのだということを、ヨセフの記事を読んで思います。彼はマリアの婚約者として、神の使いがマリアに伝えた驚くべき知らせを聞かされることになります。「このことを思い巡らしていた」ということばから、ヨセフの深い悩みが伝わってきます。彼は自分の立場がどうなのかということで悩んでいたのではなくて、マリアのことで、マリアのために、幼子のために思い巡らしていたのです。そして、彼が出した解決策とは、マリアをひそかに離縁すること。

 しかし、そのようなヨセフの考えに待ったをかけたのが神の使いでした。神の介入です。神の使いは、ヨセフが心に決めていたことを覆すメッセージを届けました。

 それを聞いたヨセフが「主の使いが命じたとおりに」妻マリアを迎え入れたという一言を心に留めました。彼は自分の考えていたことを神の使いから聞いた時、はねつけて自分の考えを貫くのではなく、命じられたとおりにしました。

 神への信頼、マリアとその胎の中のいのちへのいつくしみゆえの決断でした。自分の決断、判断は何に基づいているのだろうかと、心に問われます。


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